慰安婦の真実22 米公文書「慰安婦は帰国できた」 | 弥生の空 -日本の真実-

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前回(こちら)のアメリカ公文書の続きです。

 
▲慰安婦の公文書を取り寄せたトニー・マラーノ氏

今回は中間部分から重要なところを抜粋しています。

優先順位料金等:
慰安婦の営業条件は軍によって規制され、慰安所の利用どの高い地域では、規則は厳格に実施された。

利用度の高い地域では、軍は料金、利用優先順位、および 特定地域で作戦を実施している各部隊のための利用時間割り当て制を設ける必要があると考えた。

尋問によれば普通の料金は次のとおりであった。

1.兵    午前10時~午後5時  1.5円 20~30分
2.下士官 午後5時~午後9時    3 円 30~40分
3.将校  午後9時~午後12時   5 円 30~40分

将校は週に夜7回利用することが認められていた。

慰安婦たちは、日割表どおりでも利用度がきわめて高いので、すべての客を相手にすることはできず、その結果、多くの兵士の間に険悪な感情を生みだすことになるとの不満をもらしていた。

 <中略>

それぞれの兵士の所属と階級が確認され、そののちに兵士は
「列をつくって順番を待った」。

慰安婦は接客を断る権利を認められていた。

接客拒否は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。


報酬および生活状態:
「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。

これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。

慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。

多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。

1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める旨の指示を出した。

その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。



「慰安婦は客を断る権利を認められている」
と書かれていますね。
「性奴隷」とやらは客を断れたようです。

そして月1500円程度の稼ぎを得ていたと書かれていますから、ここでも慰安婦は陸軍大将以上の年収があったことを示しています。

多くの「楼主」のせいで慰安婦が生活困難に陥ったことも書いてあります。

そしてここが注目すべき箇所なのですが、
借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認めていたのです。

帰国できる性奴隷?

性奴隷どころか強制連行とはとても言えない内容です。


この公文書は韓国挺身隊問題対策協議会も把握してるでしょう。
でも韓国内で公表なんかできないですよね。

全ての嘘がバレたら挺対協は存続できませんから。


全文は下のURLで見ることができます。
http://texas-daddy.com/comfortwomen.htm