1944年(昭和19)8月29日、海軍次官井上成美が米内光政海相に終戦工作を始めることを報告した同日、井上は高木惣吉教育局長を呼び出しました。
▲高木惣吉
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井上は厳しい表情になると、小声でこう言った。
「戦局の後始末を研究しなけりゃならんが、こんな問題を、現に戦争に打ちこんでいる局長に言いつけるワケにはいかん。
そこで大臣は君にそれをやってもらいたいとの意向だが、差支えないカネ」
「承りました。
ご期待の添えるか、分かりませんが、最善を尽くしてみます」
「このことは大臣と総長と私のほかには誰にも知っていない。
部内に洩れてはマズいから、君は病気療養という名目で出仕になってもらうつもりでいるから、いいネ」
・〔高木惣吉『私感太平洋戦争』文芸春秋刊〕>
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・『井上成美』(井上成美伝記刊行会)P.447より
井上の終戦工作のスタートは、まず終戦工作の研究をし、内密で動き回ってくれる部下を実質的に自分の直属にすることでした。
この高木惣吉は終戦工作を行ったということで有名になるのですが、実はこの人選は米内海相ではなく井上の人選によるものでした。
高木の職務は「次官承明服務」とされ、機密費をもらって極秘任務を背負うことになるのです。
まるでドラマのような展開ですが、これが真実であることは戦後に明らかになるのです。
そして、当然のことながら高木もまた自分の生命を懸けることになります。