疑問に思ったことを質問しますか?


私は、そこに何百人いても疑問に思ったことは、講師の先生なりコーディネーターなりに手を挙げて質問するほうです。


会議でも、黙って聞いているだけの方が多い中、疑問が浮かばないのか不思議なのと、疑問をそのままにしておけることが不思議なんです。


もちろん、私の疑問が単なる私の誤解だったり、何のことはない問題だったりすることもあるんです。

別にそれはそれでいいんじゃない?


例の、私が最近よく言葉に書く「思い込み」ですけど、これは人に聞けない、あるいは自分の考えに絶対的自信がある方かもしれないですね。

私は、この思い込みが嫌ですし自分の考えで正解なのかには自信がないから質問したくなるんです。



質問にも色々あって、後輩の男性Sは、誰も質問しないところを確認して欲しくて、わざわざ執行部側なのに質問するんです。本来、する立場にない側ですが、彼のそういう気を遣うところは今は理解して許しています。



先日、薔薇の先生に質問したのですが、先生が「そんなことを私は教えていない、違う教室だ」と仰ったので、前回の資料を確認して部分的にコピーし、『この部分の質問です、次回お聞かせください』とFAXしました。


決してやり込めたいとか責めているとかじゃないんです。

白黒はっきりさせたいとかじゃなくて、あくまでも自分の疑問の答えを見つけたいんです。

訂正なら訂正で理由があるわけだから、その理由と過程が聞きたかったのです。


いくつになっても「どうして?」「この変化の理由が知りたいんだけど?」「解らないから解るように説明して」の気持ちは、ずっと持っていたいと思います。


99%の思い込みの事実の中に1%の疑問があれば、大多数の事実より小さな疑問をスッキリ理解したいと思う私ですが、世の中、グレーをあえて質問せずにグレーのままにしておくほうが幸せな場合は、いくらでもあるものです。


この年になり、グレーをグレーのまま残す意味が解り、「グレーでいいんこともあるんだ」と納得する大人になりました。


結局、先生が、私の疑問に電話をかけてくださって、自分の中でも考えてみて思い当たる部分があり、詳しく説明してくださいました。納得おねがい照れ


そうですね。誠実に知りたいことを質問できる自分でいたいだけじゃなくて、誠実に自分なりの答えを導いて伝えられる自分でありたいですね照れ






木全体を覆うノウゼンカズラ

夏はこの木の下が、私のガーデニング作業の休憩場所