「もう~、こんな事をお願いしたくないなぁ」とか
「嫌だなぁ、叱られるかなぁ」みたいな嫌なことは、後回しに言う方ですか?それともさっさと言いますか?
私は、昔は後回し派でしたが、今はさっさと言う派です。
というのも、義父が生前にすべての権利を持っていたので、私は子供の授業参観でさえ義父に許可をもらわないと仕事も休めないし行くこともできなかったのですから、あの苦虫を噛み潰したように恐ろしく機嫌が悪い義父を相手に、事あるごとに私はご機嫌伺いをせねばならなかったのです。
いつか言おうなどと思っていると、あっという間にその日はやってきて、私のギリギリになった追い詰められるという気持ちは、私自身をかなり痛めつけました。
頼りの夫は、そんな事など全く私任せで、私が言わなければいっさいの許可もなく、ただ毎日を家業の仕事のみで終えなければならなかったのです。
言ってみたところで、嫌味の連発に仕事が遅れる愚痴に「何様なんだ」という義父の嫁への態度は変わらず、何度かは言わずに子供たちに我慢させたこともあります。
でも、こんな奴に好かれることはないと判断して腹をくくってからは、とにかくお願い事や許可を取らなければ進まないことはいの一番に言うようにしました。
小言、大事、嫌味、愚痴。
念仏だと思って流せば耐えられないこともありませんでしたから、言いたいだけ言わせておきました。
そんなことは日常茶飯事ですから。
お陰で人に伝えづらいことは、自分の嫌な都合で後回しにしないという習慣はついたと思います。
そうなんですよね〜![]()
後回しにするって、ほとんど自分の都合です。
言いづらいって、相手にとって肯定しにくいことだと始めから理解していて切り出すことなんです。
相手にとって「否定的なことだと分かっていて認めてくださいね」なんだから、文句言われようが嫌味言われようが許可なり認めてもらえば私の得。
自分の得のために小さな痛みくらい何でも無い
そう思ったら大した苦痛は思わなくりました。
これをずっと、「何で夫が言ってくれないの?」「助けてくれないの」「分かってくれないの」「こんなことくらい理解してもらえない私って不幸」「可哀想な私」なんてネガティブだったら今の私は無い。
義父に一生頭が上がらなかったことも、認めてもらうことがなかったことも、夫が義父から助けてくれたことがなかったことも事実だ。
でもそれを可愛そうだとか不幸だとかなんてどうでも良くて、それを私なりに乗り越えて不満ながらも近い満足の形を模索しなければならなかったのです。
満足という形は、完璧じゃなくて良い。
自分の理想の形には、誰かの手ではなくて自分で近づくことの連続で理想の満足の形は手に入れられる。
そう学んできたんです![]()
成長の遅いアナカンプセロスも、長年もかけて育てるから大きく満足なものに仕上がる、
