ここのところ、ずっと、体調は良かったのです。
それが、この数日、恐ろしくストレス症状があちらこちらで露見し、身体の不調を訴えてくるのです。
確かにタイミング的に、断薬からの離脱症状(めまい・頭痛・吐き気・だるさ・しびれ・耳鳴り・イライラ・不安・不眠・ソワソワ感・シャンビリ感)が現れる時期だったので、最初は、そういうことなのかな〜、最後の総清算みたいなものか、と軽く考えていたのだけど、私の中の何かが、「違う違う」と訴えてきて、身体のあちこちが痛み始め、身体の右半分が不自由になって、座ってるのも辛く、起き上がれなくなる始末。
10年前に、一番強い睡眠薬を飲んでも一睡も眠れない、何も食べれない飲み込めない、起き上がることさえ困難、というレベルまでに達したことがあるので、この10年は、ありとあらゆるストレスを排除したした生活をしており、「頑張らない」「我慢しない」「やりたくないことはやらない」「自分の好きなことやりたいことだけに時間もお金も費やす」ということを心掛けており、ストレスとは掛け離れた生活を送っているのにも関わらず。
この数年に味わったことのない肩こりも異常な冷えや痛みも、これらの不調は全て、ストレスが原因であることは分かるのだけど、そのストレスが何なのか、自分でも本気で分からない。
それで、ネットで検索して最初に出てきた「自分の心に聞いてみる」という方法を試してみたワケなのです。
http://studio-pikake.hatenablog.com/entry/2015/04/10/150853
「心よ!私はストレスを感じていますか?」
「心よ!私の我慢していることはなんですか?」
「心よ!私がやりたいことはなんですか?」
「心よ!私は何に対して怒っていますか?」
「心よ!私の悲しみはどこですか?」
って。そしたら、自分でも全く思いもしなかった答えが返ってきたのです。
「母親の古希祝いに出席したくない!!」
そして、もう頭の中が痺れるようにじんじんビリビリしながら、ボロボロと涙が出てくるではありませんか。自分でもびっくり。
確かに私は、母親との関係が良好ではなく、普段は完全に線を引いてなるべく避けて関わらないように生活しており、3月の古希祝いも「やだなー行きたくないなー」とは思っていたけれど、数時間のことだし、「面倒臭いなー」ぐらいの軽い気持ちだと思っていたのです。
でも、一生に一度の70歳の古希祝いだし(奇しくも60歳の還暦祝いは兄の緊急入院で急遽キャンセルになり執り行われないまま流れた)、日程も場所も私達夫婦の都合にわざわざ合わせてもらったし、気軽には行けないお気に入りの絶品料理のお店だし、親戚の集まりなどで同じテーブルを囲んで食事をすることは、年に数回あることなので、私には「それぐらいどうってことない」ことだと頭で思っていたのです。
それが、心の声に言わせると、もうニュアンスが全然違って、
「親戚の集まりや祖母や父の誕生日会なら我慢できる。でも"母の誕生日"を祝う席に立つなんて私には絶対に無理。まして古希祝いなんて絶対ありえない。プレゼントの花は豪華なものを贈ってもいい。だけど「古希のお誕生日おめでとう」だけは絶対に絶対に言いたくない。上辺だけの心のこもってない社交辞令の意味のない言葉として割り切っても、それだけは絶対に言いたくない。口に出したくない。」
「絶対に祝いたくない!!」
そこまで、私は自分の母親のことを憎んで拒絶していたのかと、自分でも衝撃でした。
確かに思い返せば、古希祝いの場所と日程が正式に決まったのが先週の月曜日。その日から徐々に症状が出始めて、日に日に悪化。
週末には完全に精神的にも不安定な状態に陥っており、滅多にしない夫婦喧嘩で大泣きしたりもして、結婚記念日の食事会もパーにして祝えませんでした。
母を拒絶するようになったのは、18歳の時。あれから、22年も経って私ももうすぐ40歳になろうとしているのに、許すとか赦さないとかそういうレベルはとっくに通り越したと思っていたのに、私にも問題があり母だけが悪いわけでもないことも重々理解しているつもりだったのに、「たった一度の数時間の食事会に出席する」ということが、それが「母を祝うため」という意味も持つことが、ここまで自分の理性を失いかけるほどストレスを感じるなんて、本当にびっくりで。
母に対する拒絶は自分が想像していた以上に大きいのだと実感したのでした。
あなたも、原因不明のストレス、抱えていませんか?
