七年ほど前になる。

 近所に住んでいた四十歳前の息子二人は居酒屋で落ち合うかのように、しきりにわが家へやって来た。

「だいじょ―ぶ。だいじょ―ぶ」

「そや。お父さん、百まで生きるわ」

 

 古希を過ぎた私はめっきり酒量が落ち、ビール一本しか飲めなくなっていた。

 そんな私がとみに感じる体力の衰えを訴えても、彼等は一向に真面目に取り合ってくれない。

 

 子供にしてみれば、生まれた時からずっと守ってくれた親の逞しい残像だけを見ていたいだろうし、また無意識のうちにも、その親が老いていくなんて考えたくないのかもしれない。いずれにしても子供というものは、親の老いにはわりあい鈍感なものだと思う。私の場合もそうだった。いや殊更にそうだったと言えるだろう。

 

 私は大学を卒業して直ぐに木彫家だった父に師事をした。それから何十年、絶えず技術的、理論的に教えを請いながら、膝突き合わせて仕事をしてきた。そんな毎日のなかでは、「日々に老いていく父」という切実な思いはなかった。

 

 事実、父は七十歳の声をきくまでは元気だった。高さ一メートル半ぐらいのお不動さんの坐像とその脇侍を彫り、近所のお寺に納めていた。また数年前まで天王寺の通天閣に置かれていた二代目のビリケンさん、あれは父がその頃に彫ったものだ。登録されている作者名は違うが、間違いなく父の手によるものだ。(その間の事情については、今は書かずにおく)

 

 それが父の死後、日記を読むと、七十五歳前からは毎日「しんどい。しんどい」とばかり書かれている。薄情で鈍感な私は、当時、父がそんなに弱っているとは、思ってもいなかった。

 

 だが、突如として避けられない現実に直面することになる。

 二人で出かけた木彫講座の帰りだった。父は地下鉄の階段の手すりにしがみ付き、一歩、一歩、よたよたと私の前を上っていく。その背骨は、六十年間、前かがみの姿勢で座業を続けてきたせいだろう、異様に歪曲している。私は親不孝にも、このとき初めて父が直面している老いの深刻さに気づいたのだ。

「おれの親父はもうこんなにも老いてたのか!」

 どこにぶつけたらよいのか、自分でも整理のつかぬ理不尽な怒りがふつふつと込み上げてきた。

 

「父と持てる時間は、もうそんなに長くはないのかもしれない」

 その日を境にして、私は二人の時間をすくいとるような気持ちで生きた。

 

 四年後、父は八十一歳で亡くなる。もっと早くその老いに気づいていたら、と今になり悔やまれる。それにしても、あの階段をよたよたと上っていく父の後ろ姿に感じた得体のしれない怒りは、何だったのだろう。

 

 われわれは他人の老いは当たり前のこととして受け止める。「生きとし生けるものが老いて死んでいくのは、条理に適っていよう」と。しかし、自分自身のこととなると、こうはいかぬ。

 

  〈此秋は何で年よる雲に鳥〉 

 亡くなる二週間前に詠まれたといわれる芭蕉のこの句にも、己の老いに対する悲痛な叫びがあるではないか。自身の老いが不条理なものなら、自分が愛する者、とりわけ慈しみ育ててくれた親の老いもまた、不条理で許しがたいものだ。あの日、老いた父の後姿に感じた怒りの正体はこれだったのではないか、と今にして思う。

 

 ところで、息子たちは私が幾つになったとき、私の老いをそのままに受け取ってくれるのだろう。