六、七年前になる。
最寄の駅から難波行きの特急に乗った。日曜日の朝の九時前だが、そこそこ混んでいる。かろうじて一つだけ空いていた席へ滑り込む。はずみで右隣の男の上着のすそを少し尻に敷いたらしい。腕組みをして目をつむっていた男は、さも不快げに上着を引っぱり上げ、じろりとこちらを見た。私はくたびれたジーンズをはき、野球帽を被った貧相な老人だ。
一見して上物と分かる礼服に白いネクタイをしめた男は、五十歳前後かと思われた。整えられた頭髪に縁なしのメガネ、如何にも切れ者のエリートサラリーマン風情だ。
男は身を乗り出すようにして私をのぞき込んだ。今にも文句を言いたげだ。私は身を固くして無礼な視線に耐えた。が、男は何も言わず、また腕を組み目を閉じた。私は不愉快で席を移りたかったが空席がない。十年来の腰痛持ちで立っているのがつらいのだ。
私がやっている木彫りの仕事は胡坐(あぐら)をかくのがベストだが、それができない。仕方なく椅子に座っているが、小一時間もすると休憩をとらざるを得ない体たらくだ。
医者は手術はできないと言う。あらゆる民間療法も試みたが無駄だった。しかし、今また難波に中国鍼を打つ本場の先生がいると聞き、南海電鉄のお得な日曜回数券を利用し、週に一回、通っている。
私は気分を変えたいと、カセットレコーダーを取り出した。私の声でエッセーが吹き込んである。本業の方が思わしくないので、賞金稼ぎでもできないかと、さもしい根性で三年ほど前からエッセーを書き始めた。
勉強のために秀作を読みたいと思うが、最近とみに視力が衰えてきた。そこで図書館で借りた本の拡大コピーをとり、それをさらにテープに吹き込んでくり返し聴いている。
しょぼつく目でレコーダーにイヤホーンを差し込み、スイッチを入れた。いつもより音が小さくて聴き取りにくい。電池が減っているのかなと、ボリュームをいっぱいにして耳に強く当てた。なんとか聴きとれる。
ほんの十秒もたたないうちに、私の肩が無遠慮に小突かれた。右隣の男だ。
「テープ、止めてもらえませんか」
私は反射的に「すみません」とスイッチを切った。子どもの頃からひたすら他人と対立関係になることを避けてきたアカンたれの私は、「すみません」が習い性になっている。そのくせ内心はいつもむかむかしているのだ。
イヤホーンをしまい込んだ私は考える。
車内で若者がつけているヘッドホーンから、ヘビメタの曲がかすかに聞こえていることもあるから、今もエッセーを読み上げる私の悪声が、少しは漏れたのだろう。
(しかし、そんなことぐらい辛抱してくれてもいいじゃあないか。ちくしょう! てめえ一人の電車じゃねえんだ)
座った時からの遺恨があるからますます不愉快になった。この男とこれから三十分ほども隣り合って行くのは耐え難いことに思われる。礼装をしているのだから、多分、終点の難波まで乗るのだろう。
滅入る気持ちを少しでも紛らわせたいと、老眼鏡をかけ、改札口の手前でくれた宣伝用のパンフレットに無理に目を落とそうとした。
その時、車掌が次の停車駅の名前を告げ、向かいの席から左へ二番目のところが空いた。気がついた時にはそこへ移っていた。やれやれとメガネ越しにあの男を見た。男も目を開け、こちらをうかがっているような気がする。とうとつに席を変わられて、向こうもこだわりがあるのかも知れない。
(そうだ! 奴の見ているところでもう一度、堂々とテープを聴いてやろう。それがあの無礼な男に対するせめてもの仕返しではないか)
私はレコーダーを取り出した。付いたままになっていたイヤホーンを耳に当て、スイッチを入れようと本体を見る。なんと、コードは外部マイクと書かれた所に差し込まれているではないか。先ほどは裸眼だったので入れ間違えたらしい。イヤホーンは働かずに単なる耳栓になっていたのだ。当人だけが聴き取りにくいだけで、訳の分からないものを読み上げる私のだみ声が、辺りに響き渡っていたのだ。そう言えば、左隣の太っちょのおばさんも一瞬ぎょっとしてこちらを向いたような気もする。
あの男が怒ったのも無理はなかったのだ。もっと乱暴な言葉で注意されても仕方がない。それを「止めてもらえませんか」と敬語を使ってくれたのは、男の社会的地位と教養のせいだろうか。いずれにしろ私の習い性になっている「すみません」で事なきを得たのだ。 そう気づくと、どっと冷や汗が出てきた。