阪急、西宮北口駅から西南へ徒歩十分。敷地百七十坪、建坪四十五坪。とてつもなく広い二階建ての家へ私たち家族が引っ越したのは、およそ三十五年前、私が四十四歳になったばかりの秋だった。それまで住んでいた尼崎市の借家が、道路整備で立ち退きになり、知り合いの紹介でそこを借りることになった。

 

 家の持ち主は家庭の主婦で、親の遺産でもらった築三十数年の家を、無人で荒れるに任せておいたらしい。無用心だ、などと近所から苦情が出ていたこともあり、「最低限度、住めるていどには手をいれましょう」ということで話はまとまった。家賃は八万円なり。いくら古いとはいえ、広さのわりには当時でも破格に安かった。

 

 住んでみると、最初からガス漏れがあり漏電もしている。業者に対処してもらったが、「家賃が安いのだから」と気の弱い私は費用を家主に請求しなかった。

 

 翌年の秋の大雨では、庭が池のようになった。床下の水がいつまでも引かない。今度は家主に報告をした。

「その家にお金をかける気はないので、そのままお住みください」

 とのことで、階下の室はいつまでもじめじめしていた。

 他にも家が古いために色々と不愉快で不便なことがったが、「広さと家賃を考えれば」と我慢をすることにした。

 

 引っ越してから四年がたった秋のことだ。

 ちょっとした知り合いの絵描きが、自作の即時展覧会をやるからと招待状を送ってきた。当時、内戦で疲弊していたソマリアへ、売り上げの幾ばくかを送るチャリティーという名目だ。

 

 私は二駅ほど電車に乗り、作品が展示されている画家の自宅マンションへ赴いた。作品はアンリー・ルソーばりの素朴な味わいがあり、なかなかの出来栄えだと思えた。値段も手ごろでチャリティーでもあるし、できれば買ってあげたい。だが、日々の生活で精いっぱいの私にはそんな余裕はない。

「いい目の保養になりました」

 心からの賛辞を述べると、いかにも純朴そうな作者も丁重に応対をしてくれた。そして、赤くて大きな夕焼けのなかを満ち足りた気分で帰ってきた。

 

 数日がたち、画家から封書が届いた。先日の礼でも書いてあるのだろう、またご丁寧なことと封を開けた。

「来られた方は、みなさん買われました。買わなかったのは、あなただけです」

 そんな趣旨のことが書かれている。唖然となった。無礼極まりない。買いたいが、本当に金がなかっただけに、彼の言葉が余計にこたえた。

 

 あれから三十五年がたった。私も多少の人生経験を積み、人情の機微にもふれてきた。だから、今なら怒った画家の気持ちが解らぬでもない。

 家が原因なのだ。彼は私の家が借家で、しかもいろいろガタがきているなんて知らなかったに違いない。とてつも広い持ち家に住めるほど私が腕のある彫刻家だと誤解したのだろう。金もあり、美術品には批評眼もあるはずの私が、口では褒めながら彼の作品を買わなかった。

「金を出す値打ちのないものとして、否定された」

 そう思い込み、ひがんでヒステリックな手紙を寄こしたに違いない。私も無名で貧乏だから、今なら相手の胸中が解り、哀れで気の毒でもある。だからと言って、あの時に受けた心の傷が癒えるものではないが……。

 

 私たち家族は平成四年に大阪市内に引っ越した。

 まあ、いろいろなことがあったが、いくら家が古いとはいえ、身分不相応な大きな家に十年間も住めたことが、今から思うとなつかしくて不思議な気がする。