一昨年の梅雨のさなかだった。
愛猫の「よもぎ」の両耳の付け根にぶつぶつができている。生後七か月だから老化のせいではあるまい。二週間ほど様子をみたがよくならないので、近くの「花丸イヌ・ネコ病院」へ連れて行った。
「にゃーご、にゃーご」と鳴くよもぎに、「おう、おう」と応じてくれたのは、いかにも動物好きでやさしそうな初老の男性医師だった。
「家の中で飼ったほうがいいですよ。外へ出すと、病気をもらってきたり、悪いものを食べたりして、命を縮めますからな。外へ出さんとストレスがかかるって言うけど、そんあことありませんわ。うちもずっと家の中で飼ってます」
そう忠告してくれたが、肝心の血液検査の結果については何も言わない。言わないのは「先生にも病名や原因がわからないのだろう」と私も聞かなかった。チューブ入りの塗り薬をくれて、「なくなれば、薬だけを取りにくるように」と指示をされた。
一か月半の間にチューブ二本を使い切った。だが何の効果もなく、むしろぶつぶつの範囲が広がった。痒いから掻くので血みどろだ。鼻柱にも二箇所、ぶつっとできて毛が抜けている。
「別嬪さんやね」と皆が褒めてくれていたヨモギの顔が、ぶつぶつだらけになるのではないか。性質の悪い皮膚病ではないか。私はとても心配になってきた。
インターネットで調べて、二駅向こうの猫専門の病院へ連れて行った。
「これは蚊です」
よもぎの耳を見るなり、若い女の先生は断言した。そして、塗り薬を渡しながら重ねて言う。
「来年の春までに治らなければ、ほかの虫ですが、多分、蚊に間違いありません」
見立ての通り、翌年の二月の末には、よもぎは元通りの「別嬪さん」に戻った。
「花丸イヌ・ネコ病院」は何だったのか。
阪南市に住んでいた頃のことである。
右の足首の外側にぐりぐりができた。年々、痛みがひどくなり、寝ていても目が覚めるほどになった。知人が私と同じ症状だったが、東京にいる時に手術をしてもらい完治したとのことだ。私もと思い、最寄の駅前の「薮本外科整形外科病院」を受診した。
五十代半ばと思われる貫禄十分の院長は、レントゲン写真を見ながら、「安心してください。怖いものではありませんから」と言った。私は友人の例を話し、「手術をしてほしい」と懇願した。院長は自信たっぷりに、「手術しても、また出てくるんですわ。お友達のは、別のものです」と言い、「このままで、どうか頑張ってください」と何の処置もしてくれなかった。
数年後に和歌山市の今の家に引っ越した。自転車で十分足らずのところに労災病院がある。私はダメもとで整形外科を受診した。
「取るなら、取りますよ」
見るからに外科医らしい精悍な感じの先生は、いともあっさりと手術を引き受けてくれた。ただし、ぐりぐりの正体は開けてみないと分からないとのことである。
半日入院したが、手術そのものはほんの十五分ほどの簡単なものだった。
「血管にも筋肉がありますから、そこに良性の腫瘍がありました」 と教えてくれた。
以来七年がたつが、嘘のように痛みは消え、ぐりぐりの再発もまったくない。
「藪本外科整形外科」は何だったのか。今から思うと「藪本院長」なんて、名前からして怪しいぞ。
「藪医者て、なんで言うねん」
中学生だった私は父に聞いた。父はしたり顔で答えてくれた。
「それはな、江戸時代に『藪井竹庵』いう、ごっつう下手な医者がおったさかいや」
物識りな父を尊敬していた私はずっとそれを信じてきた。ところが、「それは違う」と医者である父方の従弟が教えてくれた。彼は神戸市にある「須磨子ども病院」の泌尿器科部長を勤め上げ、悠々自適の生活を送っていた。だが数年前に是非にと請われ、兵庫県の養父市にある病院に再度勤めている。
先日、久しぶりに会って一献傾けた。
彼が言うには、江戸時代の文献に以下のように記されている。
(丹波の養父に大変な名医がいた。評判は広まり、各地の医者の卵が彼の弟子となった。「養父の名医の弟子」と言えば、患者も家族も信頼し、薬効も大きかった。「養父医者」はブランドとなった。
ところがこれを悪用して、弟子でもなく腕もないのに「養父先生の弟子」と称する者が続出した。ブランドは地に落ちた。いつしか「藪」の字が当てられ、「藪医者」は下手な医者の代名詞となった)
養父市では数年前から「藪医者」の汚名を返上し、真の「養父医者」のブランドを取り戻すべく、一大キャンペーンに乗り出した。
その一環として、医療の各分野で頑張っている若い医師を対象に「ヤブ医者大賞」なるものをもうけ表彰している。「ありがたくお受けします」という先生がいる反面、「ちょっと……」と辞退する洒落の分からない御仁もいるそうな。
従弟が勤務している病院の名を「八鹿(ようか)病院」という。
養父郡に属する八鹿町と養父町、ほか二町の四町が合併して、平成16年4月1日に養父市となった。その時点で「養父病院」と改名すべきを世間をはばかり、八鹿の名を残した。
「養父全市をあげてのキャンペーンが効を奏し、堂々と薮市立・養父病院と名を改め、わしも天下晴れて『養父医者です』と名乗れる日が来ることを切に願っとります」
従兄弟はそう言って、ぐいっとジョッキを空けた。