六、七年前になりましょうか。

 わたくし難波へ赴かんと、梅田から地下鉄・御堂筋線に乗ったのでございます。昼下がりのこととて、すぐに空席が見つかりました。座りまして間もなく、周囲が女性ばかりなのに気付きます。はて面妖なりと、視界を広げまいらせまして、ここは「女性専用車両」なのだと合点いたしました。

 

 当時、もうどこの電鉄会社、路線にもそれは設けられておりましたが、ラッシュ時だけのことでございました。実際わたくし、地下鉄の谷町線、堺筋線にもしょっちゅう乗っておりましたが、どれも終日ではありません。御堂筋線だけがそうとは、夢おもわなかったのございます。

 

 ホームに並んでいるとき、横に女性駅員もおりましたのに、なぜ「ここは女性専用の乗り場ですよ」と注意してくれなかったのでございましょう。サラリーマンでないわたくしは、真夏のこととてジーンズに半そでシャツ。髪は肩まで伸ばし、男女兼用の丸いツバの帽子をかぶっておりました。電車を待つ態度が平然としていたこともあり、「えらい、いかつい女やなあ」ぐらいで見過ごされたのでございましょうか。

 

 女性専用車両とわかれば、隣に移ればいいのです。だが、慌ててしまったわたくしの頭の中では、「降りて、次の電車を待たねば」という考えしか浮かばなかったのでございます。じゃまくさいと思いました。何でこんなに空いてんのに、専用車両やねん、という腹立たしさもありました。そこで、「注意されたら、降りよう」とふて寝を決め込み、難波まで乗ってしまったのでございます。

 

「女性専用車両」なるものができましたのは、もちろん不埒な行為におよぶ男から、か弱き女性を守るためでありましょう。しかしこれ、逆のことはないのでしょうか? 男性がそのような被害に遭うということは。絶対にないのでしょうか。いえ、いえ、そんなことはございません。

 

 わたくしが十八歳のみぎり、花も恥らう美少年の頃で、これまた同じ御堂筋線でございました。梅田から乗り、ドアー近くに立っておりました。本町駅だったと思います。男女ふたりの幼児を連れたお母さんが乗ってまいりました。

「はい、はい。奥へ行きなさい」

 子どもたちを追い立てていたお母さんの動きが一瞬とまりました。なんと、掌でわたくしの股間を下からやんわりと包み込むではございませんか。今なら直ちに悲鳴を上げて助けを求めるのですが、若かったあの時は「恐怖」と「恥ずかしさ」のあまり、ただただ立ち尽くすのみでございました。

 

 言語道断、まこと天をも畏れぬ所業とはこのことでございましょう。だがこれ、犯罪にならないらしいのです。弁護士がテレビで申しておりました。

「女が男を強姦しても罪にはなりません。男の貞操には価値がないからです」

 わたくし、思わず「そんな殺生な」とテレビに突っ込みを入れたものでございますよ。だが、強姦でも罪にならないのですから、たかが痴漢行為ぐらいでは、推して知るべしでございましょう。

 

 わたくし、今でも妻以外の女性に必要以上に近づかれますと、股間からしとどに汗が吹き出し、全身が硬直いたします。これ全て、あの日に受けた深い心の傷ゆえでございましょう。

 よって声を大にして電鉄会社の方に訴えたく存じます。

「法律で保護されていない男性にこそ、『専用車両』を設けていただきたい!」

 ここで、はたと気がつきました。わたくしはもうそんなことを怖れる歳ではないのだと。ある老妓がしみじみと申しております。

「人間、できるうちが華なのよ」

 男も痴漢されるうちが華でございましょう。