テレビコマーシャルを製作する会社から電話が入った。次回作に出る能面師の演技指導をしてほしいと言う。四十年ほど前、三十代の半ばのことである。
「私も能面は彫るが、専門家ではない。われわれは柄の頭を木槌で打つ叩きノミを使うが、能面師は叩かずに、突きノミを使うのです」
と返事をした。だが叩きノミでよい、私でよいと熱心に頼まれ、引き受けた。その際、撮影の時に使う未完成の面を用意してくれとのことで、ちょうど彫りかけていた般若の面を持っていくことにした。
当日、係りの人が尼崎の私の家まで車で迎えに来てくれた。撮影は大阪府池田市にある旧家を借り切って行われた。私が到着した時には、準備はすでに整っていて、スタッフのむんむんした熱気が伝わってきた。
土間を上がった板の間を能面師の仕事場に見立てているのだが、入ってみると、一面にかんな屑がまかれている。
「これ、なんですのん?」
側にいた演出助手らしき人に聞いた。
「仕事場やいうリアリティ出そう思て、大工さんとこでもろうてきましてん」
細やかな心づかいは結構だが、かんな屑では能面師の仕事場のリアリティは出ないだろう。
「これ、あきませんわ」
かんな屑を片付けてもらい、持っていった般若の面の裏を叩いて木屑を作るのが、私の最初の仕事になった。
能面師役の岩田直二さんはテレビで見るよりは小柄な感じだった。関西では最もメジャーな劇団の創立団員である岩田さんは、私の亡父もハムレットの舞台を見たというほどの地元では大物の俳優だ。
まず持参した叩き台の上に般若の面を置き、それを左足で踏まえ、木槌を振りノミで軽く削ってみせた。岩田さんがそれを真似るが、ものの五分ほどで一応さまになる。さすがにベテランの俳優は心得たものだと感心した。
撮影が始まった。
面の左側は削りやすいが、木槌を逆方向に振らなければならない右半分はやり難いのだ。岩田さんは素人だから、やり易い左側ばかりを削る。
休憩タイムに助手が私を呼びにきた。「藤本さん、こっちばっかり減ってもうて、反対側も同じようにしてください」
言われた通りにする。また岩田さんは左ばかりを削る。それも手加減ができないから、かなりたくさんの量を削ってしまう。仕方がないから私も右を同じだけ削る。そんなことをくり返すものだから、面の表がどんどん減っていく。肝心の般若の面をクローズアップで撮る段になり、ファインダーを覗き込んだカメラマンが首をひねった。
「なんや、立体感がないなあ……」
しかし、研ぎ上げて持っていった十数本のノミには、「これ、よう光ってええ具合や」と満足してくれた。
コマーシャルのスポンサーは東北地方の老舗の菓子店で、粗筋はこうだ。
〈能面師が仕事をしているところへ、娘が恋人を紹介しようと連れてくる。しかし父親はチラッと見ただけで、無視するようにカンカンと一段と音高く木槌を振る。が、彼氏が手土産にとさしだしたこのスポンサーの銘菓を見て、さすがの頑固親父も口許がほころぶ〉
娘が連れてきた恋人を無視して、一段と槌を強く振る手の迫力が、どうしても岩田さんでは無理だということになった。そこで、急きょ岩田さんの着物をきせられ足袋をはいて、私が手の動作を吹き替えでやった。
よく俳優の仕事は待つことだと言われるが、本当にそのようだ。ワンシーンを撮ってから、次のシーンまでの準備の時間が長い。特に今回のディレクターは、松竹映画の監督部出身で「凝りに凝る」ので定評があるそうな。
次のシーンの準備をする間、私は岩田さんと控え室で隣り合って座っていた。岩田さんは私を一日だけのことでも師匠と立ててくれたのか、気を使ってしきりに話しかけてくれる。前のヤカンに掌を当て、「お茶、熱いのと、冷たいのと、どちらがいいですか?」
と自ら注いでもくれた。私も打ち解けた気分になり、つい余計なことを言ってしまった。
「私も芝居や映画は好きで、若いころはシナリオライターになりとうて、勉強したこともあるんですわ」
とたんに岩田さんはむっつりと押し黙ってしまった。それからずっときまづい雰囲気が続いた。
岩田さんは私が木彫り一筋でやってきた人間だと思っていたことだろう。それが岩田さん自身が一所懸命にやってきた聖域に、安易に手を出す私の発言に幻滅したのだろうか。他に理由があったのかもしれないが、いずれにしろ不用意なことを言って申し訳がなかったと後悔している。
私の出番はすんだので、夕方にはまた係りの人に車で送られて帰宅した。私が吹き替えでやった手と足のクローズアップがちゃんと映っているはずだが、このコマーシャルは地方版限定ということで、残念ながら関西では見ることができなかった。
「このコマーシャルが賞を取った」と後日、係りの人が礼を言いがてら報告をしてくれたが、私などは如何ほどのお役にも立っていない。賞を貰ったのは、岩田さんや監督をはじめとするスタッフの人たちの努力と熱意のたまものだろう。