(あっ、あの外人さんだ。あの外人さんが隣に座ったぞ。千載一遇とはこのことだ。今日こそは絶対に話しかけるんだ。僕の英語が通じるかな? どきどきしてきたぞ)

 といっても、この外人さんが妙齢のご婦人というわけではない。私と同じおじいさんだ。

 

 高校からの友人が七十歳を過ぎて、一念発起して英会話を習いだした。そして、数年前に一週間のアメリカ一人旅をやってのけた。

 その彼がしきりに「同じ英会話教室へ来い」と勧めるので、一年前から通っている。今日も大阪にあるその教室へ行こうと、八時に最寄の駅からこの電車に乗ったのだ。

 

 私は南海の和歌山市駅から出ている加太線の沿線に住んでいるが、近くのスーパーでこの外人さんをちょくちょく見かける。白人の年寄りに多いが、この人も七面鳥のように赤く焼けている。背は1m68㎝の私より低い。しかし、白人特有の彫りの深い顔にいつもかけているサングラスがとてもよく似合う。

 

 スーパーで彼を見かけるたびに、話しかけたくてうずうずするのだが、なかなか呼び止める勇気が出ない。それが幸運にも同じ電車で隣に座ってくれたのだ。

(このチャンスを逃してなるものか! まず、お国はどこですか、と聞こう)

「Where are you from?」

「ええっ? なんやて」

「ええっ! 外国の方でしょう」

「いや、日本人ですよ」

「ええっ! けど混じってるでしょう」

「いいえ」

「ええ? けど、その腕……」

 半そでのシャツから突き出たたくましい腕には、金色の毛がふさふさと生えている。

 その腕をなでながら彼は言った。

「これ、両親が血の濃い結婚したさかいですわ」

 

 十八世紀のスペイン王室は、白人の特質を強く持つ北欧人であるハプスブルグ家の内で、おじとめいなどの近親婚を繰り返した。結果、カルロス4世の十四人の王子、王女のうち半分の七人が、成人するまでに亡くなったという。

 これはテレビで知ったのだが、青森県には皮膚の色素構成を含めて白人的資質を持っている人が多いという。そのような人が血の濃い結婚をした結果、彼が生まれたのだろうか。

 

 太陽光線に極端に弱くて、特殊なレンズのサングラスをしているとのことだ。顔の焼けている赤さも少し異常な気もする。私は悪いことを聞いたなと後悔したが、彼は何のこだわりもなく、その後も快活に話してくれた。

 

 六十五歳でもう定年だが、週に三日、和歌山市駅でJRに乗り換えて、元の職場に通っている。そこは医療機関だが、彼は医者ではないらしい。また、私が尼崎市に住んでいたことがあると言うと、「あそこの商工会議所で開かれた『中小企業会議』に、代表としてよく行きましたよ」とのことだ。

 電車は市駅に着き、私たちは名乗ることもなく、「じゃあ」と別れた。

 

 英会話教室のあと友人と昼食をとり、午後四時前に市駅に戻ってきた。加太線のホームに行くと、あの外人もどきの人が立っているではないか。名前を知らないから、もどきとしか言いようがない。勤めを終えた帰りだそうで、買った弁当をぶら下げている。独身なのだろうか。

 

 彼は私が降りる駅の一つ手前で降りたが、このあたりの一駅の距離は自転車で五分ぐらいのものだ。この人とよく会うスーパーは両駅の中ほどにある。五時すぎにそのスーパーへビールを買いにいくと、またまた彼に会った。

「どういうことですか、これは」

 驚く彼の顔はやはりどう見ても、外人さんにしか見えない。しかしご本人が違うと言うのだから仕方がない。

 しょせんもどきさんでは、日になんど会ったところで、英会話の勉強にはならないだろう。