最近、ハッピーちゃんが生み出したモメッドダンスという、


感情解放を誘うようなダンスを通して、


インスタの福井あゆさんのアカウントを知り、


あゆさんのインスタライブで「特別病患者」というワードが話題入りした。


それで、わたしも当てはまるな、と感じ、


どういうところがワタシ特別病なのか、というアンテナを張っていたり、


ブラックなわたし、もういらない観念を洗い出したい、という意図設定をしていたため、


昨晩布団に入ってボーッと、そのようなことを多分考えていたら、


「ダシ抜きたい」


というワードが湧いた。


なるほど、これはワタシ持ってるな、と納得した。



それについて眺めて解釈を得ようとしたら、


「自分だけ得をしたい」


というワード。


あ、確かに、これもあるな、持ってるな。



「ダシ抜きたい」「自分だけ得をしたい」

「美味しい思いをするのは自分でありたい」


そういう、とてもとても人間らしいとも思えるような観念。


特別病患者の一般的な症状として、


「自分は特別な存在でなければならない、


という概念で人との間に壁を作り、


人と繋がれない。孤独になりやすい。」


とのこと。



わたしの場合も、


常に、隣の人より自分は先にいなければ、勝たなければならない。


とか、


隣の人が自分より得をするのは許せない。


とか、常に監視しているならば、


どうしてその隣の人と 心から、繋がる心地よさを感じることができようか?


その意識を持ち続ける限り、


わたしを待ち受けているのは、孤独感だ。




…と気づき、ゾッとした。


平気で持ち続けてきたこの観念。価値観。


これが逆に、どれだけわたしの歩みを遅らせ、


人と心から繋がれず、パワーを削がれ、


人生においてソンを生み出してきたか。




ホント、間違ってるよ。



ヤハリ最近、モメッド繋がりで興味を持ちフォローしたミラノちゃんという方の

インスタアカウントに綴られた、


アフリカ スラムのスクールでの一コマが印象に残っている。


滅多に食べれないケーキを、子供たちみんなで分け合う時、


自分の本当の(血のつながった)兄弟であるかわからない赤ちゃんを

抱っこしているために、


なかなかケーキを取りに行けない女の子がいたそうだ。



ミラノちゃんは、わたしが赤ちゃんを抱っこしとくから、

取りに行っておいで、とうながし、


その子はケーキをもらえるまであと一歩のところまできたが、


自分より小さな子が手を伸ばしているのに気づき、

伸ばしていた自分の手を、サッと引っ込めた。


「ダメだった」と帰ってきて、

また大事そうに赤ちゃんを抱っこしたそうだ。



ミラノちゃんの投稿に載っていたその子の顔を最初に見た時に、

なんとも言えない、柔らかくて懐かしくて、忘れてたものがあるように感じて惹かれた。


それは、ほかの子供たちの顔にも感じた。


わたしが、忘れて置いてきてしまったものが、

ここにはある。


ハッピーちゃんがシェアしてくれた、アフリカの大人の人たちもそう。

みんな、、繋がりの中で生きているということ。



「ダシ抜きたい」


「わたしだけが得をしたい」


そういう価値観を受け入れたせいで、


本当は自ら自分を苦しくさせていた。



この歳になるまで、気づかなかった


.


.



.



今朝目覚めた時、


脳裏に流れてきた曲は、モメッドでペアダンスの曲になっている「ベテルギウス」。


歌詞をよく味わいながら、聴く。


そうか、「ダシ抜きたい」とか思ってたら、


このペアダンスは成立しない。



朝方流れてる音楽は、メッセージ。