ニューヨーカーってどんな人? Vol.1
今日、地下鉄の座席に座っていると、隣に座ったおじいさんが、何やら鼻歌を歌っていました。
私はいつも音楽を聴いているので、何の歌を歌っていたのかわかりませんでしたが、このおじいさんの鼻歌を聞きながら、ニューヨークの地下鉄を思い出しました。
私が出会ったニューヨーカーたちのエピソードを書きたいと思います。
1.ラッシュアワーの地下鉄で人を押してはいけない
ニューヨークのラッシュアワーは、朝はだいたい7時から8時半くらいまで。
日本より、少なくとも、大阪よりは早いですね。
会社の開始時間を8時半から8時45分に設定している会社が多いので、このくらいの時間帯が込み合います。
地下鉄は10両から15両編成で、駅もながーーいです ![]()
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しかし、プラットフォームが狭く、人があふれかえっています。
キチンと並ぶことはありません。
なぜなら、決まった位置に電車が止まらないからです。
ですから、電車がホームに着くと、ドアに向かって人が押し寄せてきます。
出てくる人を優先します。
が、ドア付近でかたまることが多いので、全員は入れないこともしばしば ![]()
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これには、二つの原因があって、1つは、すぐに出ていきたい、2つ目は、ドアで立ちはだかることで、車内が込み合うことをふせぎたい、と言うことだと思います。
サッカーのPK戦で立ちはだかるディフェンスに見えてくることも![]()
日本人的には、一人でも多く乗せてあげて協力しようよ、と思うんですが。
ここで、無理やり後ろから背中を押して入ろうとすると、これが、やばいことになります。
地下鉄でケンカが起こる一番の原因が、これ。
「押した」「押さない」で言い合う、あげくに、殴り合いになってる人も ![]()
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何も言わないで押す、これが一番嫌がられます。
押してしまったら、にっこり笑顔で、「I'm sorry.」って言いましょう。
泣きそうな顔で言っても効果があると思います![]()
入口付近は込み合っていますが、真ん中にかなり空間があることもあるので、もしそこに入っていきたければ、
「Excuse me. Please let me inside. 」とか、
「I'm sorry. Please let me squeeze into the space over there.」
とか、大きな声で言いながら、入っていくようにしてくださいね。
自分が中に入れてもらう、というアプローチでいきましょう![]()
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英語を話せるようになるには? Vol.2
前回のVol.1では、TOEFLの勉強を始めたきっかけなどまで、お話ししました。
最終的にとれた点数は600点。
初めて模試を受けてとった点数は375点だったことは、前回にお話ししました。
その後、1年半猛勉強して取った点数は535点です。
1年半でやったことを列記します。
1.前回書いた、単語本(英検準1級用)と、TOEFL用の単語集をすべて覚えた。
空き時間、たとえ5分、10分の間でも常に本を携帯し、記憶しました。
2.リスニング問題集を2冊、何度も解き直して、CDを何十回も聞く。
ほとんど覚えてしまっていたくらいです。
3.リスニング強化のために、毎朝、1時間早起きして、BBCとABCニュースを聞く。
ここでわからない単語等があれば、発音を頼りにメモをして、後で意味を調べる。
聞き取りができていなくて、見つからなかった単語もありましたが、このようにして見つけた単語は、状況をわかって理解しているので、すぐに覚えることができました。
音声のみを頼りとしているので、何通りにもスペルを設定して、何度も調べることになるので、記憶が定着しました。
このやり方は、ニューヨーク滞在中、そして、今も、良くやっています。
これで意味を理解した単語はよく覚えていますね。
4.リーディング用の問題集を2冊、何度も解き直し、読み直す。
これも、リスニング問題集と同じ要領です。
おぼえるくらいやりました。
5. 図書館で見つけた英語の百科事典をランダムに開いて、内容を理解し、わからない単語を集めて覚える。
大阪には、中之島図書館と言う大きな図書館があって、英語の百科事典集をその自習室で勉強をしていた時に偶然見つけました。
TOEFLで問われる内容は、大学の教養課程の授業を対象としているので、色々なテーマで問題が出題されます。
その対策として、単語を広範なテーマで覚えることが必要です。
これは、とても役立ちました。
我ながら、いいアイデアだったと思います。
1日の勉強時間は、仕事がある時は、朝の1時間・帰ってから3~3時間半。
仕事のない時は、8時間以上していたと思います。
勉強を始めた時期は、家庭の事情(母ががんで入院した)で、デザイナーの仕事を辞めてアルバイトをしていたので、残業がなく勉強時間がたくさん取れました。
27歳の頃です。
母が回復し、通常の生活に戻ったのが、28歳。
そのころに、足を怪我して仕事ができない時期が1カ月ほどあり、ありがたいことに、毎日図書館で8時間勉強できました。
こうして、約1年半後に本試験を大阪で受験し、535点獲得にいたった、と言うわけです。
600点に至る経緯は、次回にお話しします。
英語を話せるようになるには?Vol.1
2012年に日本に帰国してから、英語を教える仕事をして以来、「どうやったら、英語話せるようになりますか?」と言う質問をよく受けます。
その質問を受けるたびに、自分がどうやって話せるようになったか、考えます。
その度に、私自身が英語を上手く話せているのか、と言う疑問もわいてきます。
ネイティブいわく、「Fluently 流暢に」ならしい。
しかし、私もある一定のストレスを感じることはあります。
そのストレスの度合いが、長い間に徐々に少なくなってきている、自分の言葉になってきていると言うことが正しいかもしれません。
今回は、私のその「徐々に少なくなっている」プロセスを共有しようと思います。
ステップ1: リスニングに頼っていた段階
子供のころから、洋画と洋楽が好きだったので、英語の音に親しみがありました。
洋楽を歌詞を見ながら歌ったりして、上手く歌を歌いたかったから、音を正確に発音するように頑張ったりしてました。
この長年のステップのおかげで、イントネーション・発音に関する苦手意識はなかったです。
洋楽に親しんだのは、6歳くらいからだったので(カーペンターズとかのポップス)この段階が非常に長かったですね。
でも、私の両親はまったく英語教育に関心がなかったので、小さいころからいつも聞かせてもらってた、というよりは、時々耳にしていた、と言う感じでしょうか。
高校生の時は音楽漬けだったので1日の内6時間くらいは洋楽を聞いてましたね。
20歳くらいの時に、簡単な映画のセリフは字幕なくてもわかるようにはなっていました。
これまでで、14年くらいたってます。
ステップ2: TOEFL
小さなころから、外国で働こうと思っていました。
英語を勉強するよりは、どんな職業を選んだら外国で仕事があるのか、ばっかり考えてました。
そこで、アジア人の女性でも差別されない仕事、世界中どこでも仕事がありそう、と言うことから、ファッションデザイナーを選びました。
デザイナーになることがまず第一。
で、その勉強ばっかりしてたし、仕事も非常に忙しかったです。
短大を卒業して、仕事を始めてから、英語とは全く離れていました。
お金もたまったし、一年発起して、外国の大学に行こうと思いつきます。
そこで、TOEFL
このころは、リーディングとリスニングセクションしかなかったので、まず、トライアルテストを受けました。
375点しかありませんでした。
目標点は550点以上。
その日から、とりあえず、家に有った単語集(確か英検準1級用)を常に持ち歩いて、覚える。
BS放送のABCニュースとBBCニュースを仕事の前に聞く。
問題集をやって、CDを聞く。
この後、必死になってやったTOEFL対策からお話しします。