私は、最近、思うことが、在る。
自分の中で、仕事だけ出来て、家事が出来ない(やらない)と言う人は、結果的に、家事をやってないと言う風に、位置付けているので、
偉いとも何とも思わないし、例え立場が上な人でも、私は思わない。
個人的に、家事をやって仕事をやると言う考え方が、私の中でベストだと思っているし、ちゃんとしている人は、そうしている。
此処が、人間として、大きく揺るぐ所で在る。
最終的に、カルマとなって、返って来る。来ると言うのは、自分のやったことは、自分に返って来ると言う事。
今日、気になったことが、在った。
私は、ホメオパシーの勉強をしているけれど、家事をやらないという理由に、なっていないということだった。
自分を、軌道修正して行かなければならない。私は、綺麗好きなので、よく掃除を、しているが、
洗濯・掃除・料理 これを全部熟すのは、大変。家族在っての、私だと思った。
だけれども、私は自立をしなければいけない。
私は、自分が自立をしていないことを、知っている。
これは、世の中の多くの人も、そう知っているのだと思う。
仕事をしていることは、何にも偉くないし、その「偉いね」の一言で、人生が狂わされてしまうことを、知っている。
私も、昔は、仕事をしたいと思っていたことが在った。
だけれども、体調というか、表面的に見て色々言って来る人の言葉には、もう惑わされなくなった。
自分が動いた方が良い時、と言うのは、自分が一番知っている。
私は、今は脳の調子がおかしいと、解っているし、それで、周りはよく働けるな、と思ったのだけれど
人の助けが在るから、こそ、だと思う。
多分、人がサポートしなければ、動けない人が、殆どだし、この数年間は、鬱病の人を、見て来たから。
私は、人間関係は、勝手に縁が切れて行く物だと、思っている。
別に、付き合う必要がなければ付き合わないし、それは皆一緒。感覚の問題なのか、無駄な付き合いは、しない。
お金が絡む問題なら、尚更。お金だけの、問題と、なってしまう。
話を元に戻すが、仕事が出来ても、家事が出来なければ、それは意味のないこと。それを、目上の人は、知っているのだと思う。
自分が自分をコントロールしきれる日が、来るのか、謎だけれど、少しでも、前に進みたいと言う気持ちが、強い。