私は、彼の事を考えて居る時

自分は、「いらん子」だったんだなと言う事を思い出した。

父は、私を育てず、私の年賀状を出しても、「要らないので」と言う人で

基本的に子どもが好きじゃない。


世の中に、こういう人は居て

尊敬はして居るけれど、やっぱり、言う事を聞くべき人では無いと言うか

「生まれただけで愛だと思うよ」と言ってくれた友達も居るのだけれど、綺麗事だけでは済まされないと言うか

私は、「いらん子」だったと言う事だった。


彼は、電話番号も教えてくれないし、

メールアドレスも教えてくれない。

私は、過去好きだった人の電話番号もメールアドレスも知って居るし、教えてくれた。

其処で、何故教えてくれないかと言う事を考えた時

やっぱり、私は「必要とされて居ない」と言う事が解った。


彼が、私の事を好きで居てくれても、

こういう基本的な人間として当たり前の事をしてくれないと

例え一緒に成っても、信頼関係は作れないし

同じ事が繰り返させれると思う。


だから、過去好きだった人が、私のメールを受け取ってくれて居て、

ある程度話を聞いてくれて居る、と言うのが私は

感謝だと思った。これは、親友にも言ったのだけれど

やっぱり、連絡が取れないと、家族に成るのなら、別れると言う選択肢さえ在り得るのだし


皆、連絡取れない人と、また上手くやろうと思います?

私は、今まで何人も親友が出来て来て

何度自分から連絡しても、関係が成り立たない時

「もう、駄目だな」と思った訳ですよ。

友達が沢山居れば良いと言う訳でも無いし、

だったら、私は、「今居る友人関係の中で、如何に彼女・彼等と深く付き合えるか」と言う事を、考えました。


彼は、それで良いと思って居るのかもしれないけれど

そういう私に対する態度を見て、「あぁ、お客さんに対しても、そういう態度なのだな」と解りました。

ましてや、仕事仲間で在る店長さんや、上司の方も、人間関係は「同種療法」ですので

奥さん、子どもに同じ態度を取る訳ですよ。

そう思った時、私は好きな人と別れて2週間で、体調が悪く成ったのだけれど

死ぬのかもな、と思いました。彼は私の精神安定剤の様で

出会ってから、薬が効かないという体験をしました。それで そう思う様に成ったのです。

今までは、生きる事に必死だったのだけれど


「いらん子」というのを決定打にしたのは、母の私に対する虐待です。

私は、ピアノを弾かないと叩かれるという虐待を、受けて居たので「条件付きの愛」で私は育ちました。

皆さんも、色々な家庭の問題は在ると思いますが、その大元は総て自分に在るという事です。

幼い頃、虐待を受けて居たり、それでも両親を許さないと「インナーチャイルド」という問題が襲って来ます。

心の事は、誰にも解らないし、人は表面的に視て綺麗な人で在れば良いだとか、良い服を着てれば良いとか

色々な罠が仕掛けて在って、それは「精神的向上」が出来るかどうか 神から試されているのだと 私は思います。