最近 家族の関係が変わって来て。
今までは、私は内に籠もるって言うか、そんな感じだったんだけれど
高校時代に比べたら、生きるのが楽に成って来て。
母も、優しいし、祖母も、私の事を想ってくれて居る。
10年前は、そんな事無かった
部屋で泣いて居た私は、助け船が無かった。
お父さんも、20歳まで会うなと言われ
私は保護されて居たのだと思うけれど
部屋のドアを取られ
一体、何が悪いのか 悩んだ。
高校時代は、私は地獄で
勉強も出来ない、友達には卑下され
どうしようも無かった。
だけれども、失敗を繰り返すうちに、これは、自分の財産に為るのだと思った。
金とか、名誉とか、物質的な事では無く
精神的に成長したいと思う。35歳あたりで、それに気付くんだけれど
私は、もう気付き始めてて、お経を読んだりして居るから(親友も)
霊というものは、本当に居るのだなと思った。
前の日記を見て貰えれば解るけれど私は、霊が解る。
元々、「梅毒マヤズム」だから、霊感みたいのは在ったけれど
家の中に誰が居るとかそういう事がたまに、解る。
こういう人って怖がられるけれど
多分統合失調症とか病気の人は、霊感が在る。
私の恋愛を心配して、おばあちゃんが来てくれたり
私は眠剤を飲んで居るから、其処まで解らないのだけれど
あの世とこの世は繋がって居る。
警察のおじさんも、霊友会に興味が在って、親友を紹介しようと思ったけれど
個人的に、1人で立ち上がらなければやって行けない と思う。
誰かに縋りつくのではなく
自分で決める。
自立 というのは、何時でも出来る。
何故なら、ホメオパシーが在るから。
これは、最高の療法だ。
だけれども、独立というのは、1人で立てる人は良いけれど 人間はそんなに強いモノじゃないから
人の力を借りて出来るもの。
私は、人の言う事を信じない。
例え、それが尊敬する先生で在っても、そのエッセンスは取り入れても、自分の生き方は自分で決めるモノだと思って居るから。
彼氏、彼女に縋りついて生きるものでも無い。
だけれども、この前
私は、「この人が居ないと、ダメだ」と思ってしまった 不覚にも
私は、厳しい人が苦手で
彼は優しい。
優しさだけが取り柄なのか と思ったりもするのだけれど
縁が在って、お互い想って居るのだから結ばれたい。
同窓会に来ると言って来ない奴も、
仕事で住所教えない人も、
金の事しか考えて居ない男も
それでも仲間と言えるのは
お互いが苦労したのを知って居るからで在る。
私は、19歳の頃 何時、苦労が終わるのか ずっと自問自答して居た。
母は、病院だったから祖母に弁当を作って貰ってて
私なんか、年下のミュージックセラピストより、変な奴ですよ。
彼女は、自分の弁当は自分で作って来てて
それが偉いなと思うのだけれど 年下をバカに 出来ない。
年下から学ぶ事は沢山在る。
年上を敬うのは当たり前の事だけれど、たまに「間違ってる」と思う事が在って
仕事のやり方とか、考え方とか
だけれども、最近 人々は変わり始めてる。
私は、音楽療法の友達には、全部話して居る。女関係も、男関係も。
だけれども、知ってどうするんだよという思いが在って
強いと言われるけれど 好きな人の前では私は弱い。
恥ずかしくて、目を合わせられなかった。
ちゃんと話したい。そう思う程に 自分は怖がられて居る。
私は、人を変える。
そして、その人が本当に変わった時に、役目は終わると思って居る。
変わらない人間等、居ない。
それは、何歳に成っても。
何かを失っても。
人間は、考える葦で在る。
移動時間中も、考えてる私は、今日何を書こうか思って。
ただ、夜中だと本音を書く事を発見したから 夜中にも書いて行こうと思う。
おじさんから、文章力が在ると言われたから、いつか、本でも出したいが
売れるだろうか。
お金なんか求めて居なくて
自由に自分を表現出来る場所が欲しい。
あっちこっち行って、壁に当たって怪我をする。これは、本質的なものがそうなのか解らないが
私は、1つの事を長く続けるのが苦手。これは、昔の友達なら知って居る。
ホメオパシーの記事は書いて居るけれど、飽きて来たと正直思うし。だけれども人を視て居る時に、その分類方法として、知識は役に立つ。
この先の生き方は、もう決めて居て。
学校から資料を持って来て、自分が会った人全員に配る事。
好きな人に、2通渡したが
これをやらなければ、健康は守られないと。
健康に対する恐怖が私に、在る。
それは、昔からだった。
入院する前、ホメオパシーの事を、好きだった人に之をやりなと言ったけれど
彼は言う事を聞かない。
周りがやれば始めるかもしれないけれど、自分が1番だと思って居るうちは、ホメオパシーはやらない。
だけれども、人間は1番 なんて事は在り得ないので在る。
上を見たらキリが無いし
下を見たらそれで良いのかと
そもそも、上とか下とかそんなものが存在するのか
それは、地球の中心に向かってリンゴを落とす事と一緒で在る。
このブログは、対象者を絞って書いて居るけれど 幸いな事に 読者様も居るみたいだから、書き続けるだけ書いてみようと思う。
表現の自由、が在って。
警察から、言われた時には、従ったけれどそれを破る様な行為がもし在れば、
私は戦うしか無い。
祖母も死んだ。
父も私が自立するのを待って居る。
だけれども、簡単に自立するなんて言っても難しい。そんな事より
私は人の心に興味が在るから
親は、子どもの自分の価値観を押し付け
多分、父が出て来るとロクでも無い事に為るだろうと知って居るから
彼は出て来ないけれど
自分が出来るのは、精神面でも援助と
この前も、精神科の友達から電話が来て 私は初めて笑った。
人は、生まれ持った性質を変える事は出来ない。
だけれども、知る事は出来る。
その部分を、よく視ないと、簡単に人の悪口を言ったり、人を邪見に扱う方向に為って行くのだと思う。
問題が無い人等居ない。
だけれども、人間は、集団で無く、個人だ。
個人には敵わないし、人の集まりによって集団が作られるのだから。