人の幸 | 千田 悦子

千田 悦子

千田 悦子のBlogです。

昨日は、あまりブログを書けなくてご免なさい。やる事や、寝に入ってしまって、書けませんでした。

私は今日、在る思想について考えてみました。私は、人にプレゼントしたり、よろこんで貰う事が好きです。そしてそれは、親友とはまた違った考えをする事に、注目してみました。

8月に、親友のバースディパーティーをやるのですが、其処で、彼女の食事の料金は、私と私の友達が払う事に成りました。それは、ほんの少し自分の食事料金に上乗せする位です。だけれども、其処でまた誕生日が来る友達が居る事を知った時、私は、皆で祝えないかと考えました。

そして、その事を親友に話しました。私は自分でプレゼントする内容が決まって居る為、それを用意して、その事を親友にも言いましたが、人は何を渡されても嬉しいものです。それが、吟味されてるなら尚更の事です。

私の家族は、私が好きな物を知らないので、私には、合わない物をプレゼントして来たりします。必要無いので、それを他人に渡す事は在りますが、私は自分の他者に渡すプレゼントに絶対の自信が在りますので(変な物は用意しない)それを能力的に活かしたらどうかなとも考えます。


そして、何が言いたいのかと言いますと、

自分の資本金がマイナス1万で在っても、その人を悦ばしたいと思えるかどうか、という事です。

通常の人は、良い方向に行く様に頑張りますが、それが間違っているのだと思いました。つまり、良い事ばかりで無い事が在るから、其処で気付くかどうか なのだと思います。

無論お金が無いならそういう事をしなくて良いし、私は他者に持ち掛けません。だけれども、親友だから、言える事で在って、親友で無かったら言えない事なのかなとも思います。


世の中には、そういう人ばかりじゃなく、他人から巻き上げたり、だまそうとしたり、自分のものに成らないと不平不満を言う人が居ます。そして、それを真に反省したり、自己分析をしないと、また問題は繰り返されるという不運のスパイラルに入るという仕組みに成って居ます。本当に、人の為になると考えた時、やはり「メリット・デメリット」は関係無くなると思います。そして、少しのデメリット(というものが在るのならば)、それを体験し、それが良い方向に行くという事を知れた時、其処には「精神的価値」を見出せるのでは無いかと、私は思います。何も無理にプレゼントなんか用意しなくたって良いし、これは自分の好きな事(気付く事)だと思って居るから やるワケで在り、そういう根本的な所が解って居ないと、やはり人を幸せにする事は、出来ないのだと私は強く感じます。


親友とは、もう15年位の付き合いになりますが、会話の内容は、やはり恋愛(恋)の事だったり、結構精神的価値について話す事が多いです。私は、いつも人には「UP TO YOU」だと言う事を言って居ます。これは、過去好きだった人にも言って来たし、本当に自分が変わる事で世界は変わるのだという事を私は実感してるからです。精神科に通う意味も、それ自体に感謝出来れば幸いなのですが、私はやはりホメオパシーをやって居るから、薬の怖さも解りますし、それを他者に伝えるというのが一種の役目だと思って居ます。自分がお金を叩いても、広めるという事が、情熱以外の何ものでも無いと言った感じです。


昨日は、親友が来てお経をあげました。一緒に。私は宗教には入らないと言って居たのに、入ったという事はやはり人の想念が視えるという事が第一でしょうか。その宗教でも、誰がどんな想いでやって居るかという事も大事になって来ると思います。無理してやる事に、決して意味は在りません。寧ろ病になるでしょう。そしてその病も、自分で創り上げたと感じた時、人は治って行くのでは無いでしょうか。

病気に成るという事は、自己責任です。自分の考えが可笑しいという事なのだと思います。それは、現代医学で在れ、ホメオパシーで在れ、同じ事です。その人になすりつけるという行為が止まらない限り、その病気はいったん治っても、また繰り返されます。そしてそれは自己責任です。自己責任にしない人でもその霊的なものは、全て自分に戻って来ます。

今日は、相談会、症例のメールの事を聞いて来ます。

えつ