精神科領域に置ける看護師さんに対するMusic Therapy 1 | 千田 悦子

千田 悦子

千田 悦子のBlogです。

取り留めも無く書いて行こうと思う。
本日は、主に患者様に対してMusic Therapy を行った。もうこれは私の天職だと思って居るのでやるので在る。今日は、その中で1人の看護師さんに対し、良い音楽だなと思ったからそれを弾いて居た
曲のタイトルは「チェリー」/スピッツの曲で在る。これは恐らく、彼氏彼女が別れた後、想い出を歌って居る曲で在る。スピッツの曲は、懐かしい想いにさせてくれる曲が多く、精神科では非常に諜報されて居る。穏やかなメロディで、情緒不安定な人が聴くものでは無いと私は思う。むしろ、慢性期の患者さんや、比較的自分を解って居る人が聴く音楽でも在ると私は確信して居る。
対象者は、看護師さんで在る。人のトラウマは、実際の所話してみなければ私は解らないと思う。何故看護師さんにやったかと言うと、患者さんを看ていく中で、患者さんの事ばかり気にしなくてはならないという現実、そして、自分のケアが行き届いて無いのでは無いかと思った所存で在る。精神科の看護師は、私は一般的な看護より重労働だと思う。一歩間違えれば自分が発症してしまう危険性等も無いとは言えない。だから、私は感謝を込めて看護師さんにMusic Therapyを行った。
君を忘れない 曲がりくねった道の奥 そこからもう恋の歌だと判断出来るだろう。彼女(看護師さん)は結婚されて居ないのだと思う。だけれども、過去の恋愛等から やはり忘れない人も居るのだと思う。勿論私だって忘れないし、今普通にメールを送れて居るという現実に向き合い、感謝しなくては成らない。普通にピアノを弾いて居たのだが、やはり何か共鳴するものが在ったのだと思う。彼女は静かに聴いて居た。先々週前までは高齢者の領域を弾いて居た私が、精神科の患者さん対象に弾くという風になったのも、自分の中で変化が在ったからだ。何かを捨てた自分が其処に居た。彼の為に変わらなければ成らないといった強い想いが私の中に在った。私は想念を信じて居る。そしてこの世は想念の塊なのだというのも理解出来て居る。
彼女は私の音楽をよく知って居る人だと思う。また、他の人も多分何となく知って居るのだと 私は思う。デイケアのルームにはギターも在る為、それを触ってみたが、忘れて居る事の方が多い為まだまだ弾ける事は無い。幸いなのは、グランドでは無いけれどアップライトが在るという事だった。音は狂って居ないし、だけれどもこれは調節しないと使いこなせない(古い)と思った為、患者と合わせて情動の変化に対応して弾いている。バンバン弾かなければ成らない時も、実を言うと在るのだ。それは、情動の発散を行わなければならない時で在る。また、その時はセラピストとしても何か怒りや不満と言ったものが溜まって居る時でも在るので、それを巧く使いこなして居る(つもりだ。)
音楽療法士の皆には解らないかもしれないが、人は資格を取った途端安心する。それは、「甘え」で在り努力しなければ良いものを持って居ても力を発揮する事は出来ない。私は幸い、デイケアに通いながら、皆と話をし(この話が私は面白いので在るので良いので)、そしてご飯を週1回食べられるか食べられないかの瀬戸際で参加し、また立場を利用して逆に人を癒せるセラピーが出来るのかなと思って居る。
資格を取った途端、偉そうにして来た友人も居たが、それはハッキリ言って無駄な事で在る。親がどんな思いで学校を卒業させたかという感謝の気持ちに気付く事は無いだろう。権力、名誉、金を得た途端偉そうにしている人を私は視てきたし、見抜く。
自分を癒せないものは決して人を癒せない。これはどの業界でも同じ事で在るし、音楽療法が廃れていくのを私は一種楽しんでいるのかもしれない。とても残酷な様に思えるかもしれないが、私は食べて行ければ良いので
そんな事を考えながら、私は帰宅し、アップロードの為に写真を撮った。この日記は思想の共有で在るし、薬害なんかについても書いて在るので参考にして欲しい。勿論周り殆どに教えたし、私は根本が破壊なので総ての概念を破壊したいという願望が在る。それが今まで生きた「証明」で在るし、生に執着する事は無い。何故なら、私は60まで生きれば良いかなと安易な考えが在るからで在る。
自分の能力を試したいなら、売り込みに行くしかない。能力の在る無いに関わらず自分の考えを広め、賛同していく人を増やすというのはこういう事で在る。私は卒業論文を書く時、昔の同期(1学年上)が職場についていく現実を見て居た。いつか自分もこうなると信じてやって居たが、私の心の問題、在り方、症状に対する感情の処理が甘かった事、また憎しみ等を持ち合わせて居た為、学校を卒業する事は出来なかった。髪が脱毛し、鬘等被って居たが、仮面の下の私は人格障害と言われる程おかしな存在で在っただろうと思う。皆は、そういう人格障害的な人がクライアントとして来た時、どう対応出来るか?ここには自立以上の責務が課せられる。私は滅びかけて居た。
学歴、宗教、男女差別…そういう問題は切っても切れない問題で在り、自分さえ良ければ後はどうでもと言った人物に賛同しては成らない。人が人の為に犠牲に成り、そういうセラピストが居ないか私は探している。友達が見つかったのだが、今度音楽療法がコンサートとして行えるかチャンスを見計らって居るので、自分の症状の安定化を見据えながら、行動していこうと思う。
そして、そのコンサートより大事な彼が、私にはもう居るので、何か在ったら支えになりたいと思って居る。それは、「存在する事」でさえも、支えになるのだよと 彼に言いたいので在る。


皆は、そういう人格障害的な人がクライアントとして来た時、どう対応出来るか?ここには自立以上の責務が課せられる。私は滅びかけて居た。
学歴、宗教、男女差別…そういう問題は切っても切れない問題で在り、自分さえ良ければ後はどうでもと言った人物に賛同しては成らない。人が人の為に犠牲に成り、そういうセラピストが居ないか私は探している。友達が見つかったのだが、今度音楽療法がコンサートとして行えるかチャンスを見計らって居るので、自分の症状の安定化を見据えながら、行動していこうと思う。
そして、そのコンサートより大事な彼が、私にはもう居るので、何か在ったら支えになりたいと思って居る。それは、「存在する事」でさえも、支えになるのだよと 彼に言いたいので在る。。