自分の中の葛藤
最近、私は人前で泣けない事に気付いた。家族の前でも泣けないし、なんとなくホメオパシーの処方されたレメディを見てみたら、やっぱりCarc.という癌細胞から作られたレメディが出ていた。と言っても癌があるわけでなく、傾向や性格的にそうなってしまったのだ、悪い事ではないが、やっぱり人前で泣ける様になりたい。
心の葛藤は消える事無く、ただ自分で耐えるのみだった。人に相談したい、けれども周りは忙しい…カウンセラーが必要なのか。前にも書いたけど、私はカウンセリングが必要なんじゃないかと思った事がある。それは、重苦しい罪悪感などに苛まれた時に感じる事だ。
人は本来自由であり、健康に生きられる特権がある。私は、今好きな人が自分に何を求めてるのかさえ分からない。ただ楽しい事だけを求められているのなら、私と一緒に居るのは多分難しい。此処数日で、彼は私が歩んで来た道を知る事が出来たと思う。それは彼のみが知っている事であり、他の人には中々分からないだろうと思う。
私は彼の事が、いいなぁと感じる。元々憧れていた存在だったし、人生的にも頑張って来た方なので、何となく成功して来た方なんだなとたまに思う事がある。私はどちらかというと、失敗して来た人間、またはその感覚が強く自分の悪い点を知っている。そういう私が彼にかなうはずも無く、それでも好きと言った感情が強いのでもう信念で押し通すしかない。自分は苦労したと私は思って居るし、苦労が少し晴れたと思った瞬間また別の苦労が押し寄せてくるし、散々だと思いながら生きている。
私は人に尽くしたい。それが結果的に自己犠牲であり、私の性質は、破壊と自己犠牲なので今は自己犠牲の性質が出ているのだろうと思う。それがホメオパシーのレメディで処方されているので、辛い事を笑って話すような感じになってしまったのかもしれない。
好きな人の事を家族に話すと、皆嬉しがる。今までこんな風に素直に話す事は無かったし、頼れるから多分話せるんだと思う。自分の事は自分なりに決着をつけようと思う。20歳位の私は何も考えず思い立ったらすぐ行動して居たが、今好きな彼も私も何となく、両者とも臆病になって居るのだと思う。それは私は嫌われたらなどと思いがあるのだと思うし、行動はするけどそれが果たして良い事なのか悪い事なのかさっぱり分からないからである。自分の中に弱さは存在し、私は出来ればこういう弱さをも共有したいと思って居る。自分は弱いから精神科に行ったのかもしれないし、やっぱり自分は弱いんだとある意味受容すれば、この世ではやっていけるのかもしれない。
ただ彼に尽くしたい、今日はそんな事を思う様になった。