色々な事を考えて横になっていた。私は考えるのが好き。誰も何も言われず、空想に浸っている。実行に移す時もあるけれど、わざわざ横になってジッとしているのも良い。色々と書きたい事やアイディアが浮かんで来る。やらなきゃいけない事、掃除など毎日が押し寄せて来る。こんな感じで人は死んでいくのだろうか。様々な考えをこれまで書いて来たが、たまたま前向きだからこういう風に考えるのであって私も辛い時があるのでそれは周りと変わらない。ただ、切り替えというか苦しい事があっても大丈夫と思える様になったのが此処数カ月の成長。


この前、担当ナースが来て色々と相談に乗って貰った。自分の母の事だが、私は高校生あたりから母親との縁が薄い。食事も、ピアノ教室へ通う時も母はついてきて貰ったが、私には母の愛というものが非常に感じにくい所があった。前に日記に書いたかもしれないけれど、友達は「私が生まれた事が愛」と言っていたが、あまり言いたくないが暴力を受けた事がある為、やっぱり何処か絆が薄いんだと思う。今は食事もよく作ってきてくれるし、感謝なのだが、母は「梅毒マヤズム」という愛を表現する事が非常に薄い気質の為、そうなのかもしれない。どことなく冷たいのだ。そんな事言ったら、私の方が残酷で、冷酷なのかもしれないが。

父親はそうではなかった。父は引っ越してしまった。コンサートをやる事は言っておいたけれど、来るか解らない。

私は精神病棟に居る時、一度も父を呼ばなかった。父は厳しく、また多分潜在意識の中で、精神病に関する事は多分あまり解らないだろう…私の事も解らない とジャッジしたんだと思う。私は。

好きな人が、多分父の役割をしたんだろうと思う。変な話だが、勉強しないと怒られたし、生活技能的な事とか色々教えて貰ったから。母もあまり呼ばなかった。もう母にあまり期待する事などないし、一度全部自分でやってしまった経験があるので、何かあったら私は地に足を這ってでも行動するだろうと自分なりに考えている。

父と母はそんな所だが、結局頼りになるのは、同世代とか年下にかかってくるのかなとか思い始めた年代でもある。何故なら、私達の年代でもう亡くなったりする親御さんが居るからだ。どういう気持ちでそういうの 受け入れるんだろう。私は幾ら関係が薄いとは言え、母や祖母とは旅行には行っておこうと思う。

親と金はいつまでもあると思っていない。だが、大丈夫だろうと思う。色々な意味で。