今日は、1日何もしない日でした。

何もしないと書いたけど、色々考える事やピアノはやったのだけど、1日を「フリー」という時間で過ごしたのは、約半年位ぶりビックリマーク


iTunes storesを覗いて居て、カントリー音楽の素晴らしさに気付いた!

最近では、テイラースイフトなんかが居ますね。

私が聴いて居たのは、それより前の時代のカントリーです。なんというか、カントリーって温かさがあります。

どとうのように、10月が過ぎていきました。私は生きていたのか、解りません藁

火曜日は担当ナースが退院前訪問看護が来ます。そして、病院に戻ります。

早く退院して、色々家事をやってあげたいです。家事は昔していましたが、少し気が重いというのが現状です。

何も考えず、流れ作業の中で家事をやるなら簡単ですが(特に洗濯や掃除なんかはそうだけど)、料理は愛情が入っているのかそうじゃないのか解らないので、料理は普通に作りたいと思います。この前、母親がすっごい美味しい肉じゃがを作ってきたんですよ。だしを昆布とか鰹節からとったみたいで。料理の先生クラスだったら、こういう事普通に出来るじゃないですか。でも普通の人は出来ない。しない。食べられるだけでありがたいと思っているので、簡易調味料などを使うんですね。私はそれで良いですけど、旦那さんとかどうなるのか解らないので。料理は女の基本である。と友達も言ってました。

愛情が詰まっているか、詰まって無いかなんてすぐ解るんですよね。想念で人は生きているのです( ̄▽+ ̄*)

病院の友達は、何人か解りませんが、コンサートに来てくれます。担当ナースも招待しようと思うんですけど、そういうのって無理なのかなぁ…

精神科だと、色々考えなきゃいけないこともあって大変ですね。私が思うに、精神病というものをもっと知る事によってその境界やプライバシーなどはオープンにしなければいけないのではと思っています。

何故なら、患者は病院側に個人の情報の提供をしますが、ナースや医師は自分のプライベートを包み隠す様な傾向が見受けられるからです。年配のナースあたりになると後輩の事や人生のイロハが解ってきて居るので、フランクに接してくれる事が多いです。それは仕事の出来る人、出来ない人、そんなものは関係なく、性格上の問題なのでしょうか。私より年下の看護師さんでも、包み隠さず教えてくれる人は居ます。だけど、私はそれじゃ困るのです。何故なら、私は自己開示こそが人を開示させる手段であり、プライベートをすぐ暴く癖があるからです。

昔好きだった人のプライベートなど、普通誰でも想像の範囲内で知る事は出来ますが、私が求めているのは根源的な部分です。こういう事を書くとどう思われるか解りませんが、人生は必要がある事が目の前にやってきて、それを乗り越え調和していく為に人間は生きていかねばならないと思っているのです。自暴自棄になっても、それでも何かをつかんでいく方が私はかっこいいと思います。人間は成功した事より失敗、おかしな体験談の方が面白いし、いつしか美談として残ります。

まず、私はコンサートを開ける事に感謝し、そして症状が回復してきた事をもっと感謝しなくてはいけないと思いました。感謝は一瞬で消えますが、そのエネルギーが次なる感謝、または他者の為に使われる事を祈ります。


今日は祖母はバラ園を見てきたそうです。私は1人家に居て、パソコンをやったりしてました。暇だとは思わなかったけれど、こういう時間があるなら好きな人に会いたいと思いました。楽しい事もあるけれど、私の好きな人は癒やし、です。