セントピーターズバーグはタンパから見て湾の対岸です。
そのセントピーターズバーグで79年6月3日に打たれた興行のラインナップを見てみましょう。
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1979年6月3日【セントピーターズバーグFL】
(NWA)△ハーリー・レイス対ドリー・ファンク・ジュニア△
△テリー・ファンク&ダスティ・ローデス対スポイラー1(ドン・ジャーディン)&2(ボビー・ダンカン)△
○ジャック・ブリスコ対ディック・スレーター●
○カール・コックス対ペドロ・モラレス●
△ミスター斎藤(マサ)&ミスター・サト(カブキ)対スティーブ・カーン&マイク・グラハム△
○タイガー・コンウェイ・ジュニア&ジェリー・ブリスコ対インフェルノス●
○テリー・ギブス対ブッチ・キャシディ●
セントルイスやシカゴ、MSGに勝るとも劣らないラインナップです。まさしくフロリダ地区は黄金時代でした。
「フロリダは毎日フルハウスです。私が初めて来た頃とは比べものになりません」
これは、ヒロ・マツダの1980年の証言です。
マツダがいうように「フロリダは一日にして成らず」でした。
フロリダ地区を象徴する人物を一人あげればエディ・グラハムです。グラハムがこの地区に定着したのは60年頃でした。グラハムはレスラーとして、60年代後半にはブッカーとして、そして70年からはプロモーターとしてフロリダ地区を支えてきました。フロリダ地区のプロレス史は、グラハムがこの地区に定着したのは60年あたりを境に、大きく変わっていきます。
では、グラハム以前はどうだったのでしょう。グラハム以前の大きな特徴は2つあります。
(1) 2月に東部、中西部から大スターを呼び、ビッグマッチを開催します。なぜ2月なのでしょうか。私は以下のように推測します。
・フロリダ半島が、アメリカ東部や北部、中西部の富裕層にとっての「避寒地」だから。西海岸の富裕層にとってのハワイのようなものです。避寒客の動員をもくろんで、好カードを持ってきます。
・もう一つの推測は、最終回で明かします。
「避寒地」だけが理由なら、1月でもいいように思います。1月ではなく2月でなくてはならない理由があると思います。
(2) 2月以外は地元スターを中心に、定期興行を行います。ただし、「地元スター」といっても日本的には「しょっぱい」レスラーです。一例として、69年のゴールデンシリーズに来たエドワード・ペレスが挙げられます。日本でのペレスは一緒に来たフレッド・ブラッシー、スカル・マーフィ、ブルート・バーナードの上に置かれることはありませんでした。
また、定期興行では女子がフューチャーされ、戦前はバトルロイヤルが盛んでした。
では、次回は、フロリダ地区のあけぼの、戦前のフロリダを見ていきましょう。