ボボ・ブラジルの政治経済学・・・南部訛りのダスティ・ローデス | 続プロシタン通信

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プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

 

1978年7月のスーパードームのメインは、レイ・キャンディ対アーニー・ラッドの黒人同士の金網戦でした。しかしこれだけで大観衆を集められたわけではありません。集客の大きな要因となったのは、ダスティ・ローデスの存在です。

 

この日、ローデスは、78年2月までWWWF王者だったビリー・グラハムと対戦、破りました。 次のスーパードーム興行が行われたのは12月です。

 

この日は空位になっているUSタッグ選手権の王座決定ワンナイトトーナメントが行われました。優勝したのはローデス&アンドレ・ザ・ジャイアントです。スタン・ハンセンと組んだラッドは準優勝に終わりました。 ラッドが地元のエース、ローデスがスーパードーム限定のエース、アンドレが特別ゲストという構図です。

 

キャンディはこの興行に出ていません。この地区の前後の興行には出ていますので、この日は人数のだぶつきに暇を出されていたのでしょう。

 

 79年最初のスーパードームが4月でした。ラッド、キャンディはジョージア地区に転戦してしまったため、この日は出ていません。「黒人枠」に収まったのはチャーリー・クックとポークチョップ・キャッシュで、2人はスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディと対戦し、反則勝ちしました。普段、他地区で闘っていたハンセン&ブロディはオクラホマ・ルイジアナ地区にはこの日のみのゲストです。 

 

メインを務めたのはやはりローデスで、久々のリングのビル・ワットと組んでジ・アサシン&ジ・エンジェルを破っております。74年5月、フロリダでベビーフェイス転向以来のローデス人気は、全国区的なものとなり止まりません。特にここ南部では、メリハリのある試合と南部訛りのマイクパフォーマンスとの相乗効果がお客さんを喜ばせたようです。興行の主導権をプアホワイトの象徴ローデスが、黒人のアイドルを押しやりました。

 

79年8月、前回お話ししたように、ワットはマクガークの元から完全独立を果たします。ここにおいて、オクラホマ・ルイジアナ地区はオクラホマ地区とルイジアナ地区とに分かれます。 2人のプロモーターが共用していたほとんどのレスラーはワットにつきます。レスラーが足りなくなったマクガークは新たなるレスラーをかき集めて興行を維持しました。 

 

ワットがニューオリンズをプロモートしたのは87年までです。76年以来のスーパードーム興行最大の動員(28000)を果たしたのは、80年8月2日です。主な結果は以下の通りです。 

 

(1) ○ジャンクヤード・ドッグ対マイケル・ヘイズ● 

(2) ○ダスティ・ローデス&バック・ロブレイ対バディ・ロバーツ&テリー・ゴディ●

(3) ○アンドレ・ザ・ジャイアント対ハルク・ホーガン●

(4) ○テッド・デビアス対ミスター・レスリング2(ジョニー・ウォーカー)●

(5) ○ポール・オーンドーフ対ケン・マンテル● 

(6) ○ザ・グラップラー対ワフー・マクダニエル● 

(7) ○レイ・キャンディ対キラー・カーン● 

他4試合。 

 

カッコ内の数字は、興行広告の掲載順です。 

 

黒人の新顔、ジャンクヤード・ドッグはいきなりすごい扱いです。それに対して、キャンディの存在感のなさが目立ちます。そして、アーニー・ラッドが出ていません。実はラッドは興行広告には掲載されませんでしたが、参戦は予告されていました。ラッドは、ラインナップされるべき人だったわけですね。 

 

しかし、結局のところ、この日のリングに上がっておりません。通の方々にはその理由、お分かりと思いますが、種明かしは次回ということで・・・。