哲学カフェー神について その2 | エトワールのささやき

エトワールのささやき

エトワールは、自分自身が住む世界は、タロットカードでできていると思っています。タロットカード78枚のなかには、天も、地も、人も、木火土金水も、春夏秋冬も、東西南北も、色も、空も、存在します。この宇宙そのものです。

エト では再開します。音楽は、ストラヴィンスキーの春の祭典 ピエール・ブーレーズにします。ペリエをどうぞ。


ミキ 少し整理して考えてみました。神を考える場合、それを信仰する人の現世利益、または、来世利益が重要なのではないかということです。


エト 来世利益というのは、面白いですね。


ミキ 来世利益を考えている宗教は多いです。浄土系仏教、キリスト教、イスラム教など来世利益を考えているのではないかと思います。


エト 昔、読売ジャイアンツにいたロイド・モスビーという野球選手は、けがをした後のインタビューで、「今日は聖書を読まなかったのでけがした」と答えていました。キリスト教は、現世利益もあると考えて信奉している人は多いと思います。キリスト自身が、幸せの源であり、迫害すれば、不幸の源だとトマスの外伝にも書かれています。


ミキ 利益をもたらす目にみえない力があれば、それは神以外の何ものでもないという考え方はシンプルです。


エト 浄土系の思想で、妙好人と呼ばれる人々がいます。来世利益を信じ、ひたすら念仏を唱えるわけですが、それがよい生き方に通じることの範を示しているわけです。


ミキ 理念型としての完璧な神というのもあるのではないでしょうか。


エト 確かに将棋の神様が指したらどうかという理想とする完璧者を想定する使い方は言葉としてありますね。


ミキ だいたいこの世の仕組みは、相当特殊です。


エト 人間が出現してからおおよそ6000年ぐらいでしょうか。宇宙が生まれてから138億年たっていますので、人類が生まれたのは宇宙の歴史のうちの0.000000434にすぎません。人類の歴史は、すごく短いものです。


ミキ 太陽系も宇宙全体から見れば、砂浜の中の砂一粒のようなものですね。


エト そんな小さく、短い時間の中に濃縮された様々な出来事があることが不思議です。


ミキ 結局、神というものはあるかないかといえば、目に見えない存在というものやこの世のアーキテクチャーはあると考えた方が物事の説明はしやすいというのが結論かな。


エト 言葉としての神は完璧な理念型であるというのは、正しいと思います。


ミキ 神について語ることはウィトゲンシュタインも容認していたので「語りえぬ」ことではないということですね。


エト ウィトゲンシュタインは、例えば、「神よ、恐ろしい問題なしに生きられるというのは何という恵みなのでしょうか。この恩恵が私のもとにとどまりますように」といっています。


ミキ 神というのは、擬人化されていますよね。アメノミナカヌシとか、クニノトコタチとか、エホバとか、アラーとか、ヤーウエイとか、アダム・スミスは、神の見えざる手といって市場を神にたとえました。その本質は今一つよく分からない感じです。


エト 「存在は神の別名である」あるいは、「神は存在の別名である」とい定義があります。この世の例えば、原子の周期表や数学のeのπi乗+1=0だとかの規則性は、客観的真理なのでしょうけれども、これらのアーキテクチャーもいるのだろうかという素朴な懐疑があります。


ミキ 真理は、神を介在しない客観的なもの、つまりは、科学的なものなのではないかというのが、近代合理主義の立場ですよね。


エト 神の問題は、究極的には、思考と言語によって定められる性格のものなのではないかと思います。

例えば、無神論というのも、それはそれで一つの神観を表象するものであるということです。


ミキ 少し考えてみたいと思います。


エト では、休憩にします。