メールマガジンは続けていたものの、このブログの更新をずっと怠っていました。
でも、今回あるきっかけで反省しましたので、掲載していなかったものをどんどん
載せていきます。一気に50回分くらい上げますので行間が詰まったままですが、
その点はご容赦ください。 2011年10月21日 黒崎
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◆【旅のものがたり】
株式会社いい旅ホームページ http://www.etours.jp
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2011年5月27日号
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おはようございます。株式会社いい旅の黒崎です。
「旅のものがたり」は、素直な好奇心で、先入観なく世界や日本のことを
楽しもうと始めた企画です。雑学や話のネタとしてお楽しみください。
題材は基本的にいい旅のツアーから選んでいますが、時々日本の話や旅と
は関係ない話も登場します。
それでは早速、今回のものがたりをご紹介しましょう。
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【第86回】
「おめがね」
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むかし、神様の教えを世界中に広めようとした人達がいました。
彼らは、教えをより多くの人々に伝えようと、船に乗って国を飛び出し、
見知らぬ土地へ出かけました。
その一人が、アジアの大きな国にたどり着きました。
小さな港町で、彼は熱心に教えを広めると共に、貧しい人々を助けました。
努力のかいあって、教えは少しずつ広がっていきました。
その後、「宣教師」と呼ばれた彼は、遠い島国からやって来た一人の男に出
会います。
男は事情があって自分の国にいられなくなったのですが、名誉を重んじる
潔い性格でした。
その性格は、宣教師の彼のおめがねにかないました。
彼は、男の国にも教えを伝えたいと思うようになり、男はそれを手伝って、
自分の国への道案内をしました。
島国にたどり着くと、期待した以上にその国の人々は、名誉を重んじる優
れた性格を持っていました。
その国の人々もまた、彼のおめがねにかないました。
彼は、その土地の王様である「大名」に許しをもらって、教えを広め始めました。
しかしその後は、肝心の彼がおめがねにかないませんでした。
国の中心に行って、島国全体の王様から許可をもらいたいと考えたのです
が、途中で滞在した場所の大名からは怒りを買ってしまい、国全体の王様
には、充分なお土産を持っていなかったため、会ってもらうことすらでき
なかったのです。
彼は国全体の許可をもらうことは諦め、引き返して準備を整えました。
そして、服装を立派に整え、たくさんのお土産を持って、怒りを買った大名
のもとに出向きました。
これまでの経験から、いくら自分の国の王の手紙を持っていても、立派な
身なりをしてお土産を持たなければ相手にしてもらえないと学んだのでした。
そのおかげで2度目の会見はうまくいき、彼はようやく大名のおめがねに
かないました。
大名は彼に古いお寺を与えてくれたので、そこを日本で始めての教会とし
て、キリスト教の布教に務めました。
ポルトガルのリスボンからインドのゴアに渡り、後に日本にキリスト教を
伝えた、フランシスコ・ザビエル。
「こちらがお鏡でございます。こちらがおガラスでございます。こちらが
お眼鏡でございます...。」
ザビエルが大名に贈った品物の中には眼鏡(めがね)が入っており、日本
にキリスト教を伝えたザビエルは、眼鏡を伝えた人物でもあったのでした。
現在ザビエルは、インドのゴアという場所にある、ボム・ジュズ教会に眠
っています。
遺体は教会内に安置されていますので、ゴアを訪れた際には、日本にキリ
スト教と眼鏡を伝えた聖人を訪ねてみてはいかがでしょうか。
▼ハカセの..もうちょっと知りたい!
※ザビエルは、ポルトガル王の依頼で、当時ポルトガル領だったインドの
ゴアに向かいました。1541年4月にリスボンを出発し、アフリカを経
由して翌年5月にゴアに到着しました。
ゴアを中心にインドで成果を上げ、中国の上川(サンチェン)島を経て15
49年に日本にやって来て、約2年間布教に努めました。
長崎から入って京都へ向かいましたが、天皇への謁見はかなわず、各地の
大名の許可を得て、鹿児島、山口、大分を中心に活動し、2年間の日本滞在
の間に、数百人のキリスト教徒を生んだそうです。
その後、一旦インドへ戻ってから中国への布教を試みますが、鎖国のため
入国できず、手前の山川(サンチェン)島で病にかかり、46年の生涯を
終えました。
石灰を詰めて納棺され、海岸に埋められましたが、後にゴアに移されました。
▼オマケの話
※大名に怒りを買ったのは、男色を罪とするキリスト教の教えに反発された
ようですが、その後贈り物を贈って許されました。
※ちなみに、「おめがねにかなう」という場合のめがねは、眼鏡ではなく拡大
鏡(ルーペ)のことを指すようです。子細に観察してもほころびがなく、優
れているという例えでしょう。
▼これであなたも物知り博士?
「ゴアのボム・ジュズ教会に安置されているザビエルの遺体は、10年に1
度だけ一般に公開されます。10年に1度だけになった理由は?」
A.遺体の傷みを避けるため
B.遺体の盗難を避けるため
答え:遺体の盗難を避けるため
遺体はミイラ化しており、聖者の遺骸として拝観が許されましたが、熱狂的
な信者が右足の指2本を食いちぎって逃げてしまいました。
足の指は、彼女の死後に返還されましたが、その後遺体の公開は10年に1
度のみとなり、次回は2014年を予定しているそうです。
遺体が朽ちなかったことは奇跡とされており、一説によれば、いまだに爪が
伸びているという少々怖い話もあります。
なお、ローマのイエズス会総長の命令で、右腕は切断されて肘から先はロー
マにあり、日本に運ばれて展示されたことがあります(1949年、1999年)。
右腕の肩から肘はマカオに、耳と毛はリスボンに、歯はポルト(ポルトガル)
に、胸骨の一部は東京に保存されているそうです。
▼編集後記
聖者の遺骸を神聖なものとし、大切に保管するのは良いのですが、バラバラ
にして分けてしまうのはちょっとどうかと思います。
もっともこのあたりは宗教的な考え方になりますし、仏教にしても、仏陀の
体の一部を納めた建物が信仰の基盤になっていった経緯があるようです(当
然途中で行き渡らなくなりましたが)。
神聖な何かを近くに置き、その力にすがりたいという、人々の願いの現われ
なのでしょうね。
でも、食いちぎって逃げるのは明らかにやり過ぎですね。
▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓
「いつも自分が、選ぶ側とは限らない。」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
★次回 旅のものがたり
「錆びない鉄」(仮)
それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!
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「旅のものがたり」
発行者:株式会社いい旅
執筆 :黒崎 康弘
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