【第51回】
「黄色い壺」
ある山奥を、一筋の川が流れていました。
川の水は冷たく透き通って清涼で、早瀬では白いしぶきをあげて流れました。
そのうちたくさんの流れが集まって川幅はだんだん広くなり、高原を潤して
流れていきました。
高原を出る頃には川幅はもっと大きくなり、広い台地を流れていきました。
川は何度も山に当たって曲がり、そのたびにたくさんの土を巻き込んで、
徐々に濁っていきました。
そして、黄色い大地と呼ばれる地域を抜ける頃には、川の水はすっかり黄色く
なっていました。
黄色い川が、深く長い峡谷を抜けて進むと、広かった川幅が急に狭くなります。
数百メートルあった川幅は一気に数十メートルに狭まり、川の流れはその勢いを
増します。
そしてその先にある極端に狭い滝を、川は轟音を立てて落ちて行きます。
大量の土砂を巻き込んで水の色はさらに黄色さを増し、かつての清流は黄色い
水煙を立てて流れ落ちます。
中国山西省、黄河の中流にある、壺口瀑布(ここうばくふ)。
壺口とは中国語で、お茶をいれる急須のことです。
渦巻く黄色い奔流が、狭い口から一気に流れ落ちる様子からこの名がついたそうです。
また、滝の部分が細くすぼまった地形は、実際に壺のようでもあるといいます。
はるか山奥に源を発し、世界四大文明のひとつといわれる黄河文明を育んだ母なる
黄河は、大河となって流れる河口付近まで、実に多様な顔を見せてくれるようです。
訪れた際には、母なる黄河の心臓とも、喉仏とも言われるこの黄色い壺の姿を、
ひと目ご覧になってみてはいかがでしょうか。
▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓
黄河は青海省の海抜4400mを源にし、何千キロもの旅を経てこの滝へとやっ
て来ます。
黄色い大地は、黄土高原(こうどこうげん)と呼ばれ、この土を巻き込んで河は
黄河へと姿を変えます。
壺口瀑布の落差は水位によって異なるようですが、30mほどであることが多く、
轟音は、5km離れたところでも聞こえるそうです。
凄まじい水の力にさしもの固い岩盤も削られ、瀑布は少しずつ上流に移動して
いるといいます。1600年ほど昔の北魏(ほくぎ)の時代には、3000m
も下流にあったとされ、今も年に数ミリずつ後退しているそうです。
黄河の流域は黄河文明の発祥地で、滝の周辺には80万年も前から原始人が
住んでいたといいます。
▼オマケの話
黄河は昔から船で物を運ぶのに利用されましたが、この滝だけは船で越える
ことは不可能だったため、この滝の手前で船は陸に上げられて下に丸太を敷き、
牛馬や人の力で滝の下流まで運んだそうです。
黄河が運ぶ土砂の量は凄まじく、河口に堆積する土砂は新たな土地を生みます。
いつか中国大陸と朝鮮半島がつながるいう冗談もあるそうです。
お茶をいれるのに使われる急須は、中国で発明されたそうです。
最近はないようですが、堆積物の増加や水不足のため、黄河は時に断流する
ことがあったそうです。
▼編集後記
壺口瀑布へは行ったことがありませんが、写真で見る限り黄色を通り越して
茶色に見えたため、正直最初は、「汚い滝だな。」と思ってしまいました。
ただその迫力は写真でも伝わって来て、色といい勢いといい、とにかくただ
ことではない滝だとも感じました。
迫力は水量次第で、水量は年々減っているといいます。
お客様をご案内する際には勢いよく流れていて欲しいものです。
また、冬になって滝が凍りつくと様相は一変し、非常に美しい景観が生まれ
るようです。こちらも一見の価値はありそうですね。
▼これであなたも物知り博士?
「壺口瀑布は、昔の中国のお札にデザインされていました。そのお札は?」
1. 10元札
2. 50元札
3.100元札
答え: 2
かつて、50元札の裏面にデザインされているそうです。
▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓
「一見して本質を知ることは難しいが、源を辿ればその姿が見えてくる。」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
★次回 旅のものがたり
たてものがたり編
「大丈夫な塔」(仮)
「何があっても大丈夫な塔を建てよ。」皇帝の命を受けた男達は..。
それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!
▼今回の舞台を見てみたい!
↓画像つきで、添乗日記を見られますのでどうぞ!
