またまた久しぶりの更新ですが、新しいテーマを追加しました。



「ものがたり」というものですが、当社、株式会社いい旅のサイトに

ある「旅のものがたり」というコーナーからの一部抜粋です。


これも私が書いているものですし、もとはツアーに来られた方への

資料としてつくっているものですが、読み物としても読めるのでは

ないかと思い、ブログでも紹介してみます。


文字に色がついていますが、いい旅のサイトでその内容を見る

ことができます。






          -不思議な谷の豊かな王国-

むかしむかし、今から2000年以上も前、アラブの砂漠に、ある人々が住んでいました。


彼らは人数が少なかったため、決まった家を持たず、羊の放牧をしたり貿易に手を出したり、
時にはシルクロードを通る商売人達を襲ってみたりして、わりと気ままに暮らしていました。


彼らは文字を持っていませんでしたが、他の民族が書いたものがあり、これらのことがわかります。

しかしその後、仲間がずいぶん増えたため、他の人々が住んでいた、大きな谷の中に住み着きました。


昔のことなので詳しいことはわかりませんが、特に争いもなく住み着いたという説もあれば、前にいた
人たちを追い出してしまったという人もいます。
でも、今まで知らなかった陶器の作り方を教わったりもしていたようなので、案外仲良くやっていた
のかもしれません。


とにかくその人たちはそこに住み、いつの間にやら街の主役になっていきました。





その街はとても特徴のある街でした。
大昔に地震で岩山が二つに割れてできた大きな谷にあり、とても細い道を通らないと街には入れません。




ただ、この細い道は敵から街を守ってくれるとともに、悩みの種でもありました。


ひとたび雨が降ると、谷を鉄砲水が走り抜け、大洪水になってしまうのです。

そこでその人たちは、ダムを作って鉄砲水を防ぎ、素焼きの水道管を通して、いつでも水を使える
ようにしました。2000年以上も前の話です。


そもそも岩山だった場所なので地面も岩ですから農業には向きませんが、この水を利用して、一部では
農業も行っていたようです。



また、シルクロードの交易にちょうどよい場所にあったため、アラビア付近の貿易を独占し、隊商都市
として大きく発展しました。

砂岩でできた岩山は削りやすく、神殿やお墓、住居など、たくさんの建造物が作られ、谷の広い
部分には、多くの家がひしめいていたようです。
また、岩肌は色の異なる何層もの模様を持ち、とても美しいものでした。



しかしこの人々の栄光も、そう長くは続きませんでした。
良い時代はせいぜい100年ほどだったようで、その後ローマという国が攻めてきたのです。

執拗な攻撃に、最初のうちは持ちこたえていたこの街も徐々に力を失い、支配されてしまいました。
そして建物も多くは改築され、ローマ風のものとなったのです。




ところが、ローマによる支配も、それほど長くは続きませんでした。

およそ250年の後、二つの大きなショックが襲い、そのためこの街は滅んでしまうのです。

ひとつは自然の力、大地震です。それも一度ではなく、何度も起こりました。そのため多くの建物は崩れ、
たくさんの人々が亡くなりました。

もうひとつは時代の流れです。別の都市が発展し、海路が発達するに伴い、古い陸路はあまり使われ
ないようになりました。



紀元350年頃にはこの街は人が住まなくなり、すっかり廃墟となって事実上滅んでしまいました。
そしてその後は、1500年近くもほとんど歴史から忘れられていたのです。



19世紀にスイスの探検家が発見し、20世紀の前半から発掘作業が行われていますが、まだほんの一部しか進んでいないと言われています。



ペトラとは、ギリシャ語で「岩」を意味します。

奇しくも地震によってでき、人々に富をもたらした街が、再び地震によって失われてしまいましたが、岩山を彫って作られた宝物殿やお墓は地震にも耐えて残り、今もその美しい姿を見せてくれます。


今は遺跡となったペトラの街を訪れ、かつての不思議な王国の中を歩いてみてはどうでしょう。

ナバテア人は街を出て、散り散りに移り住んだと思われます。
もしかしたら、あなたを案内してくれるガイドさんや現地で出会う人々は、その遠い子孫かもしれませんね。



→この世界遺産、ペトラの様子は、添乗日記でも紹介しています。  










 


その道は、狭いところでは4mほどしか幅がなく、岩の壁の高さは100mほどもありました。