山陰本線に四重連が走った日 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

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真夏の白昼夢

それは昭和47年8月27日のこと

 

浜田区に居たD51 1の梅小路入りを記念して出雲市ー米子間に四重連の記念列車が仕立てられたのです。記念列車とは言えスジは未だ浜田区のC57の通常運用だった546レで米子まで行き、復路は通常DF50牽引の533レのスジが充てられました。もうこの頃になるとイベント列車なら12系客車が使われることも考えられましたが、定期列車のスジで運転されたこともあり鋼体客車を使われたのも嬉しい出来事でした。

D511を先頭にした四重連がヤマタノオロチ伝説の斐伊川橋梁を渡ります。沿線で最高のファンが集まると予想された斐伊川上空には取材の小型飛行機まで現れたのには驚きました。

山陰本線 出雲市 ー 直 江

 

 

浜田←→出雲市間は、蒸気機関車4両では江の川橋梁の強度が不足している為にD511+C57+C56の三重連で走ります。

鋼体客車を牽くことでもあり なるべく全編成を撮りたくて、四重連だと列車全体の長さがどれくらいになるのか?画角を試すために先ず全編成が見渡せそうな宅野の築堤に行ってみることにしました。

山陰本線 仁万ー五十猛

 

 

ところが往路の斐伊川堤防では予想外の混雑ぶりで、一枚目の写真のように追いかけではとても思い描いていたようなアングルで四重連を撮ることは不可能なことが判明しました。復路の533レでは何処か前よりで編成が入りそうなポイントを探したのですが、適当な処がないまま四重連の通過時刻が迫ってきたので、来待ー宍道の間の別段どうと言うこともない所で四重連の機関車だけを撮る羽目になりました。

 

山陰本線 来待ー宍道

 

 

宍道の手前で撮影したあとは大急ぎで斐伊川堤防に向かい、四重連列車を前よりで全編成が入るようなポイントを確保できたのですが、斐伊川を渡って来た四重連の機関車は皆ほぼ絶気状態で煙はなく、D511が鳴らしたボゥ~、ボッボッと言う汽笛に3両の機関車が順々に呼応して吹鳴した汽笛を聞いて何とか報われた気分になりました。

山陰本線 直江ー出雲市

 

 

 

往路の時の斐伊川堤防右岸の様子です

文字通り立錐の余地もないくらいファンが押し寄せて、足元が不安定そうな中洲にも人が並んでいます。上空には其の様子を見ようと取材ヘリが低空でホバリングしています。

 

 

↓こちらは復路の四重連通過後の斐伊川左岸

もう本当のお祭り騒ぎです

 

 

四重連が走った翌日の新聞の切り抜きです

 

押し寄せたファンの数は新聞各社によってマチマチですが、その数は3万とも4万とも言われ、テンダー蒸気機関車による四重連列車が本線を走った事への注目ぶりが伺われます。

 

ブログにはスペースの都合上新聞2社の切り抜きだけを載せましたが、翌日(28日)の朝刊は各社この四重連の記事を一面でも取り上げていて、山陰本線の四重連の熱狂ぶりをうかがい知ることができます。

 

もう50年以上も前の出来事でした

 

最後まで御覧頂いて ありがとうございました。