播但線のC57 93と言う機関車 形態編 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

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 播但線のC57を撮影に行って一番残念だったのは貨物列車にDD54の前補機が着くことでしたが、その次くらいに残念に思ったのが各所が改造されてC57としての外観を大きく崩した此の93号機が来ることでした。 それが後年、しかも平成になって暫く経った頃にとある鉄道雑誌に、先に当ブログにアップしたC57128やC5787と共に福知山線の優等列車の牽引機として綺麗に磨かれ手入れされた福知山区のエース機だったと知って驚きました。

 

 

 プロポーションを大きく崩していると思ってたのに、いま改めて見るとそれも個性ですね。

山陰本線 和田山 1972年2月20日

 

 

丸みを失った煙室前端

播但線 生野 1972年6月18日

 

 

天空の城として一躍有名になった竹田城の麓を駆ける

播但線 青倉-竹田 1972年2月20日

 

 

第一先輪はプレート輪心に置換されています。

この角度から見ると

集煙装置の開閉装置の様子もよく分かります。

山陰本線 和田山 1972年2月20日

 

延長されたキャブ前窓のヒサシ

機関士側の前窓は採光のために出っ張り

これが一番外観を崩していたように感じました。

山陰本線 和田山 1972年2月20日

 

 C5787も93号機や128号機と共に福知山機関区のエース機として君臨していました。同機も93号機と同じような経歴を辿っていて煙室前端の丸みは失っていました。また87号機の集煙装置は3対脚で取り付け位置が高く、第一脚は裾が狭められていて、重油タンクも背の高いタイプのものが装着されていたので他のC57とは趣きを異にしていました。集煙装置の取り付け位置が高いのは煙突を短縮しなかった為かもしれませんね。最後は まさかの津軽海峡を渡って宗谷本線などの運用に就いて随分と驚かされたものです。

福知山機関区 1971年9月19日

 

山陰本線 和田山 1972年2月20日

 

 こんなC5793でしたが、1972年春のダイヤ改正後も豊岡に5両残った最後のC57の一両で、撮影したネガを見返してみれば結構枚数も撮っていてアップする枚数も多くなりそうなので、今回はC57の"形態編"として更新する事にしました。よって次回はC5793の"走行編"としてアップする予定なので宜しくお願い致します。

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました。