山陰本線 益田のC56とD51 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

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 昭和47年当時、浜田区のD51が長門まで行く仕業は2往復のみで、撮影可能時間帯に走るのは浜田を11:26に出る861レしかありませんでした。 この861レは山口線との連絡駅益田に13時1分に着いて、15:01の発車までの間に益田駅構内で自ら牽く列車の貨車の入替え作業を行います。

 

撮影場所は全て山陰本線 益田

 

D51749の煙で霞む益田駅構内

 益田に常駐して貨車の入れ替え作業を行う浜田区のC56の姿は見えませんが、機関庫の向こうに山口線用のD51が2両駐機しているのが見えます。一両は前出の長工デフのD51405です。

1972年4月1日

 

 もう一両は津和野運転支所のD51278で、長工式集煙装置を装備していますが、八の字状の末広がり煙室エプロンや端梁に埋め込まれた標識灯などを見ると広島工場の標準装備が施されているようです。 1972年4月1日

 

861レを牽いて来たD51749による貨車の入替作業が始まりました。

益田で切り離す貨車をバックで押し込みます。

 

車列後方のワムが追放されているのが見えます。

 自ら牽いて来た貨物列車の貨車を切り離し、そして新たな貨車を連結するために国道のオーバークロスの下を何度も行ったり来たりする光景は地方の大きな駅では日常の光景でした。 その間、国道下の踏切は締まったままで、線路を横切る人は踏切が開くまで長い間待たされることになります。

1972年4月1日

 

 

 昭和47年8月9日のこと。益田支区に珍しい所から来たD51が居ました。それは小郡区所属のD51813で、確か山口線に入る小郡区の機関車の運用はなかった筈です。

D51813はどの仕業で益田までやって来たのでしょうか?

 D51813の向こうに見えるのは津和野運転支所のD51で、長工式集煙装置が標準で装備されていますが、小郡区のD51813は集煙装置が未装備なのも山口線へ入らないことが前提だからこその事だと思います。末広がりの煙室エプロンと端梁の埋め込み式標識灯は広島工場の標準仕様で、一瞬山陰本線用の長門区のD51と勘違いしてしまいそうです。

 今から思えば、この集煙装置未装備機のD51813が山口線を走行しているシーンを撮ってみたかったと切実に思います(^^

1972年8月9日

 

 

そして益田名物 ヒ600+C56の名コンビ

 以前によく似た写真をアップしていますが、これは以前アップした写真のもう一本向こうの線路を走行しています。 背後には当時の一般的な冷凍車のレ12000やトラ45000なども写っています。

1971年8月15日

 

 

1972年8月9日

 夏草が生い茂る向こうに三江北線でよく会ったC5698がこの日は益田の構内入替機として働いていました。

 キャブ後面には日よけの為なのか?ムシロが下げられているようです。そのムシロが風で煽られてキャブの上にまで捲れ上がっています。

 機関助手さんがムシロを避けるように大きく仰け反っています。機関士さんの様子からC56は動いていなさそうですが、缶圧の様子でも見ていたのでしょうか?

 

 ひととおり入れ替え作業を終えて腕木信号機の脇でC5698が小休止しています。C5698の前方にはヒ600が少しだけ写っています。

 

 こうして益田駅では国道9号線のオバークロスに行ったり、機関庫裏の道路から津和野のD51や入替中のC56をよく見に行った思い出の地です。機関庫裏からは御覧のように雑草が生い茂って写真的にはもう一つだったので写真は撮らず、春にはヒバリの声を聞きながらC56の歯切れ良いドラフト音を楽しんだものでした。

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました。