私は、幼児番組とか童謡も好きです。
これらは、大人が作ったもの。
そこには、子供への思いに溢れています。
それは大人になったら捨て去るものではなく、一生持ち続けてほしいという理想。
年をとればとるほど、無駄なことをしている時間はもうそんなに残っていません。
そう思うと、より純度の高い精神状態でいたいと思うようになって子供の世界(かつて大人が子供に見せたかった世界)に戻るのです。
そんなわけで、よく移動中にも童謡を聞きます。
そのYouTubeの童謡メドレーの中に
「あめふりくまのこ」が入っていました。
メドレーの中でも、目が覚めるほどの異彩を放つステキな曲でした。
物語の文章が非常に美しく、しっとりした旋律に心を奪われました。
でも色々な人に聞いてみると、私の解釈は人と違うようです。
歌詞は
・お山に雨が降りました あとからあとから降ってきて チョロチョロ小川ができました
・いたずらくまのこ かけてきて そっと覗いてみてました 魚がいるかと見てました
・なんにもいないと くまのこは お水を一口飲みました おててですくって飲みました
・それでもどこかにいるようで もいちどのぞいてみてました 魚をまちまち 見てました
・なかなかやまない 雨でした 笠でもかぶっていましょうと 頭に葉っぱを乗せました
こんなです。
私は「来ない友達を待っている歌」だと思います。
でも多くの人は、魚を捕まえて食べようとしている歌だと思うそうです。
私がそう思うのはたくさん理由があります。
そのうち、いくつか挙げます。
・「いたずらくまのこ」であって「はらぺこくまのこ」とは言ってない
・「そっと」のぞいている(脅かさないように)
・「いないか」ではなく「いるか」と思ってみてる(遊び友達が欲しい)
くまは雑食性なので、はらぺこなら森にいくらでも食べ物はあるはずです。
雨に降られても葉っぱをかぶってじっと待ってるくらいなので、エサを求めている感じはしません。
「くまは魚を食べるからエサとしてしか見ない」というなら、人間も魚を食べます。
人間は魚を、エサとしてしか見てないでしょうか?
魚をペットに飼う人もいれば、水族館で見る人もいます。
人間も魚をエサとしてしか見ないなら、水族館は食材を陳列しているのでしょうか?
この曲を聞いて悲しく感じる人も多いと言います(私もそう)。
それは「来るはずのない友達をけなげに待つこぐま」を感じるからだと思うのです。
文章が美しい要因は他にもあります。
「見ました」ではなく「見てました」のように過去進行形を使ったり「雨はなかなかやみません」ではなく「なかなかやまない雨でした」のような表現は、この話が遠い昔を思い出しているような気持ちにさせ、より強い郷愁を感じます。
でもこのこぐまの性格を考えると優しい母親が家にいるし、いずれは楽しい友達がたくさんできて幸せになると思うのです。
「おかあさん、今日はお魚さんいなかったよ~。」
「また今度、来るといいわね。」
びしょ濡れで家に帰って、そんな会話をしていると思います。
私がこの曲大好きな理由は色々あるのですが、この辺で(笑)。
*他に「こぎつね」とかも好きです。ボーカルもいいです。
