さてさて。

マナー講師のお仕事をしておりますと、「先生はやっぱりお育ちが良いのでしょう」などおっしゃっていただけることがあります。
実のところ、厳密に言うと、わりと幼いころから「育ちが良さそう」と言われて育ちましたが、父は一般企業のサラリーワーカー。母は時々パートに出かける主婦でした。

いわゆる「昭和スタンダード」ですね。

そして、恐らくは同等クラスの世帯収入のお家が集まっていたのであろう、郊外のベッドタウン育ちです。きわめてフツー、ごくごくフツー。
わたくし自身は自ら率先して木登りする程度にはおてんばな10代でした(笑)。

両親は躾に非常に厳しく、子どものわたくしからすると「怖い」の一言に尽きることも多かったのですが(普段はやさしいですよ♪)、それ以上に躾に厳しかったのが母方の祖母です。

そして祖母には様々な審美眼、ホンモノや本質を見極める「目」のようなものがありました。

 

それでは、そんな祖母は旧家のお嬢様だったかというと...

 

まったくそんなことはなく、北海道の”ど”田舎出身。

しかも、祖母が幼い頃に曾祖母が他界したとかで、子育てに困った曾祖父が知人に預けた先が漁師のお家。祖母は「漁師の娘」としてそのお家を日々手伝い、最終学歴も当時の義務教育までだったと思います。

そんな祖母は、ことば遣いには特に厳しいひとでした。

 

わたくしが大学生当時に「ちょームカつくことがあってさぁ!」などと会話を始めると

「静は本当に言葉が汚い!荒っぽい!直しなさい!」と叱られましたし、

祖母宅にかかってきた電話を受けて
「もしもし、〇〇でございます」

と出ようものなら

「悪くないけれど、減点ね。

 『もしもし』ではなく、『はい、〇〇でございます』と出なさい」

 

と、たしなめられました。

 

「もしもし」はカジュアル向きだと。

 

これは、実際に大学を卒業して社会に出たときに納得しましたし、早いうちに「もしもし」と出なくなったのは正解だったと痛感したものでした。

また、万が一にもお箸やお皿などを「箸」「皿」と言おうものならこれまた叱責されたものです。

 

 

そう、その人の品性が推し量られるのは

*まずは身だしなみ
*次に言葉遣い
*そして立ち居振る舞い

ことば遣いを変えるだけで、人生は変わったりもします。
 

まずは丁寧なことば遣いを心掛ける。

場合によっては直接的過ぎる表現は控える。

そして、慣れて来たなら「やまとことば」を使えるようになると、より響きがやわらかに優しくなり、気品がアップします。

 

例えば、これからの季節は食品が傷むのがはやいわけですが、単刀直入にずばっと「腐りやすい」や「腐っている」などということばを使うより「足がはやい」という表現に置き換える。

耳障りの悪いことば、耳にするお相手が不快に思うようなことばはなるべく別の表現に置き換える。それだけでもコミュニケーション力はアップしますし、なによりも、自分が発する言葉を一番身近で耳にするのは自分自身。

 

ご自分の為にも、発することばは選ぶようにされることをお薦めいたします💕