闘病中の私たちの気持ち 〜2年間にわたる闘病生活のなかで〜 | 家族が突然ステージ4の末期ガンになりました 〜闘病記と、家族の気持ちなどあれこれ〜

家族が突然ステージ4の末期ガンになりました 〜闘病記と、家族の気持ちなどあれこれ〜

大切な家族、べこ氏がステージ4のガンと診断されました。腸のガンです。当時46歳。大動脈周辺リンパ節転移と腹膜播種があり切除手術不可。抗がん剤4次治療終了→免疫治療等でガンほぼ消滅。「やれることは全部やります」
更に父の闘病も始まりました…

📝私の大切な家族、

べこ氏(48歳・男性)が
ステージ4のガンに罹りました。
遠隔転移、腹膜播種、手術不可

延命治療と言われました。

病気が発覚した、
2022年からの闘病記録です。

振り返りブログなので、

ブログ投稿の時系列はバラバラです。

𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱

 

2022年にステージ4のガンと診断され、

手術不可、延命治療と言われました。

 

病気とのたたかいと、

様々な感情とのたたかい

がありました。

ガン治療難民にもなりかけました。

 

いままでの闘病2年間の気持ちを綴ります。

 

 2022年

体調不良により地元の病院へ。

腹部に大きな腫瘍があることが発覚。

 

「良性腫瘍でありますように」

祈るような気持ちで大学病院に転院。

生検で悪性と診断されました。

 

診断結果を伝えられた時、

2人で泣きました。

なんでオレなの?

なんでべこ氏なの?

 

ショック、悔しさ、悲しみ、唖然、呆然、

不安、憤り、恐怖、抵抗、迷い、

元気な人との断絶感、孤独感…

あらゆる感情が湧きました。

 

診断と同時に、

「絶対に治る方法にたどり着いてやる」

という決意も持ちました。

 

ガン患者の心の適応として、

以下のような「経時変化」が

あるとされていますが、

適応なんてしませんでした。

発覚当初の感情はずっと抱えたまま、

絶対に治すという気持ちも待ち続けました。

この2年間を振り返って、このグラフは、

私たちには当てはまりませんでした。

 

(画像引用元:国立がんセンター)

 

抗ガン剤治療がスタートしてからは、

抗ガン剤が効けば手術できるかも

という希望を持って

べこ氏は副作用に耐え、

私は、応援し、看病を続けました。

 

 2023年(前半)

抗ガン剤切り替わりの度に、

担当医から

「この薬剤の効果がある人は◯%、

効果がある期間の中央値は◯ヶ月」

という説明がありました。

 

延命治療患者にとっては、

なんて残酷な治療なのか…

という説明内容でした。

 

べこ氏は、

発覚当初からの様々な感情を

たまに爆発させることもありつつ、

ひたすら病気と副作用の辛さに耐え、

治療が出来ることを目標にしていました。

 

私(家族側)の気持ちとしては、

常に無力感がありました。

「病気を治してあげたいのに」

「病気や副作用を替わってあげたいのに」

「私の命をあげたいのに」

何も出来なくて苦しかったです。

 

担当医に、診察の度に

「ガンが小さくなったら切除できるのか」

「放射線治療など他の方法は無いのか」

と、質問し続けましたが、

担当医の返事は歯切れが悪かったです。

 

 2023年(後半)

夏頃から、悶絶してのたうち回るほどの

強い痛みが出現。

ガンが増殖して神経に触れている

医師でなくても、なんとなくわかりました。

 

次の抗ガン剤は効いて欲しい

と祈り続けました。

 

べこ氏は、とても我慢強く、

ひたすら抗ガン剤治療を続けました。

抗ガン剤の副作用とガンの症状で、

身体はボロボロで満身創痍でした。

 

この頃はお互いに、

「抗ガン剤が何年もずっと効いてほしい」

「今回こそ手術出来るところまで治って」

という気持ちでした。

 

 2024年(前半)

三次治療が効かなくなり、

いきなり黄疸が出ました。

 

胃腸の狭窄(閉塞では無い)と診断。

胆管狭窄の解消方法として、

バイパス手術を検討し、

開腹手術をおこないましたが、

腹膜播種により手術不可となり、

何もせずに閉腹しました。

 

また、胃腸の狭窄により、

中心静脈栄養点滴の投与がスタート。

「今後、一生ずっと絶食です」

と言われました。

私たちは、

大学病院に対して完全に心を閉じました。

 

大学病院側は、

食べることを取り上げて、

緩和ケア病院を探させて、

抗がん剤治療が終わった後の、

終末期に向けてのレール作りを

始めたことがわかりました。

 

私たちの“頑張りたい“気持ちに対して

共感も賛同もしてもらえませんでした。

担当医師は、

「現実を受け入れるように」と

残念そうな顔をするだけでした。

 

べこ氏は、

激痛を緩和する治療に挑み、

恐怖や不安と戦い、

約2ヶ月間の入院生活を頑張りました。

 

私は、

抗がん剤以外の治療を真剣に探しました。

ガン発覚当初に調べていた

「免疫治療」の病院サイト

あらためて徹底的に漁りました。

 

お任せできる!と思える病院に

たどり着いたとき、

入院中のべこ氏に電話をかけて

興奮しながら説明しました✨

あのときの安堵感はハッキリ覚えています

 

同時期に、大学病院からは、

「もう出来ることはありません」

「ご家族の方々を呼んでください」

と言われました。 

後で知りましたが、

余命3ヶ月程度と判断されたようです。

 

べこ氏は、医師からの言葉の威力に対して

ショックが強く、茫然自失となり、

パニック発作のような症状が

出るようになりました。

 

早く退院して、

免疫治療を受けることを希望に、

ひたすら頑張りました。

 

注)退院希望を伝える際、担当医師に相談し、

免疫治療について許可をもらっています。

 

表向きは、

訪問診療と訪問看護、

緩和ケア病院探しなど

大学病院からの提案を受け入れつつ、

退院の準備を進めました。

 

退院当日、退院してそのまま真っ直ぐ

免疫治療の病院に行きました。

(免疫治療の経験は別ブログに書きます)

 

免疫治療の

1クール約4ヶ月の治療の途中で、

腫瘍マーカー値CA19-9が

激減していきました。 

白血球の値もどんどん改善しました。

 

CT検査は大学病院で続けていて、

画像にはまだ少しガンがありましたが、

嬉しくて、診察室で泣きました😭

今までの闘病が報われたと実感しました。

 

べこ氏のメンタルは安定していきましたが、

今度は、抗ガン剤と麻薬鎮痛剤の

副作用と後遺症、離脱症状からくる発作と

メンタルの不調が出て、

いまも苦しんでいます。

 

私も、べこ氏の発作がつらくて、

心身に余裕が無くなり、

薬の副作用と後遺症、離脱症状からくる

べこ氏の苛立ちと精神的攻撃性が

耐え難くなった時期もあります。

 

免疫療法がひと段落する直前、

科学的根拠に基づいた療法を紹介頂き、

タイミング良く開発者T先生とお話し出来て、

新たな治療をスタートしました。

 

しばらく治療を受けつつ、

胆道ドレナージ解消と栄養点滴の相談に

T先生のご紹介で、

S先生の病院に行きました。

 

検査結果を見たS先生から

「ガンが無いなー」

「腹膜もきれいで、腹水も無いなー」

と言われた時は、

意味がよくわからなかったです。

 

胆道周りのガン?腹膜も?

どこのガンがない?

「無いなー」ってなんだろう?🤔

言い方が軽すぎる!🤣

と2人で笑いました爆笑 

 

確認したところ、

やっぱりガンは無いそうです。

 

べこ氏は、いまも副作用と後遺症、

離脱症状に苦しんでいますが、

メンタルはかなり落ち着いてきました。

 

ガンは良くなりましたが、

べこ氏も私も、

今も心身共にボロボロです。

 

私は高血圧が悪化して

ひどいときは、127/180超ですガーン

 

大学病院から出来ることは無いと言われ、

ガン治療難民になりかけましたが、

N先生T先生S先生をはじめ、

縁を繋いでくださった皆さまのお陰で、

抗ガン剤治療を続けていた時よりも、

受診の診療科も治療の選択肢も

たくさんありますニコニコ

 

2人とも健康的な生活を送るために、

これからも、やれることを全てやるのです。

笑顔を大切にしながら頑張ります⚔️

 

お問い合わせフォームを作りましたラブラブ

ご質問などございましたら、
アメブロのコメントから、
または、
こちらのフォームよりお願いします
音譜

当方からは、Googleメールアドレスから

返信いたします。


お問い合わせフォームはこちらです