水滸伝は、中国の古典小説の中でも最もアクションに満ち、最高峰の小説に数えられます。史実に基づく小説で、14世紀に施耐庵が著しました。900年ほど前の北宋の時代にならず者が中国の土地を歩き回っていた時の話です。

あらゆる場所から108名の豪傑が梁山泊に集いました。このうちの何人かが、どのように梁山泊に行くことになったのか、その経緯をご紹介しましょう。

 

  恵みの雨

 

『水滸伝』の宋江(そう こう)は地元の小役人でした。孝行息子で、義侠心に篤く、困った人に救いの手を差し伸べることで知られていました。欲しいときの恵みの雨という意味で、及時雨(きゅうじう)という愛称で呼ばれていました。

 

小役人からならず者となった宋江の人生の大転換は、老夫婦と娘が村に到着したときから始まります。老いた父親はまもなく亡くなり、母子は路上での生活を強いられました。役人である宋江にこの状態が報告され、宋江は亡くなった父親のための葬儀を手配し、母子が生活を維持できるだけの金銭を与えました。

 

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