きょう「6月4日」は中国共産党当局にとって最もセンシティブ(敏感)な日といわれる。

 

1989年6月4日、「六四天安門事件」として、歴史に名が刻まれたその日は、日曜日であった。前日3日夜から4日にかけて、天安門広場を中心とする北京市内では、民主化を求める学生や市民に対して、中国人民解放軍が実弾を発砲、また戦車で人をひき潰すなど、流血の大弾圧が行われた。

 

35年が経つ今日も、中国当局は天安門事件に関連する話題をネット上で血眼になって監視し、国内外で犠牲者を追悼する活動を阻止しようと躍起になっている。

「六四天安門事件」当時の写真(米国の人権組織が公開)

 

  「歴史の真相」

 

「六四天安門事件」35年周年を前に、元学生リーダーで事件当時の民主化運動に参加した李恒青(り・こうせい)氏はエポックタイムズの独占取材に応じた。

 

当時、清華大学の学生運動の総指揮者であった李氏は「命からがら天安門広場から逃げた」自身の経歴とともに、「中国共産党による洗脳に反対し、歴史の真相を伝えてほしい」と訴えた。

 

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