もう故人になられて久しいが、江戸屋猫八師匠(3代目)の物真似「コオロギの鳴き声」は絶品であった。

 

草むらのなかで密やかに鳴くコオロギの音(ね)がまことに風情豊かに聞こえ、日本人の好みにぴたりと合っていたことを懐かしく思い出す。

 

鈴虫はリーンリン、松虫はチンチロリン、クツワムシはガチャガチャ。ではコオロギはというと、コロコロと鳴くらしい。ただし猫八師匠の名人芸は、絶妙な間(ま)をとって観客の耳を高座という「草むら」にぐっと引き寄せてから、ホーホーと聞かせていた。

 

姿を見ずにコオロギの鳴き声だけ楽しんでいれば気が楽なのだが、リアルなコオロギの形を想像しながら、以下の本題に入らなければならない。

 

日本人は、本当に、コオロギを食べるつもりなのか。

 

1973年の米映画『パピヨン』でスティーブ・マックイーンが演じる主人公は、劣悪な環境の獄中で、ムカデなどの虫(ムカデは昆虫ではないが)を食べて命をつなぐ。

 

人間は生きるために食べねばならない。私たち日本人にも、第二次大戦直後の食糧難のときに、野原のイナゴやバッタをとってきて腹の足しにした歴史が確かにあった。飢餓という、生命にかかわる異常事態のなかで「昆虫食」があった事実を否定することはできない。

 

現代の日本でも、長野や岐阜など山間の地方では、例えば蜂の幼虫やイナゴを佃煮の材料に用いているところがある。もとは、山間部では摂りにくい動物性タンパク質を補う手段だったのだろう。今ではその土地の「名産」といってもよいが、これはむしろ珍味の類であって、日本人の食事の主幹ではない。

 

東南アジアをはじめとして、昆虫食に寛容な国は世界に少なくない。それは、その国の文化や歴史のなかで定着した食習慣であるので、他国の者がその是非をいう必要もないだろう。その国の人々は昔からそれを食べて生きてきた、ということに尽きる。

【続き】