前後しますが、少し前に読んだ本、『恐山 死者のいる場所』について。
著者は曹洞宗の禅僧であり、福井県霊泉寺住職、恐山菩提寺院代(住職代理)の南直哉さん。
「死」というものについて人一倍考え続け、死者を思って恐山を訪れる人々と向き合ってきた著者だからこその視点、切り口がある。
講演を元にまとめ直したと書かれている通り、語られるものを聞いているようでとても読みやすい。
私は大学生をやっている時から、死やら魂やらに興味があった。
タイトルを見て、授業で恐山について聞いたことを思い出し、何気なく手に取ったこの本。
自分になかった視点の話がたくさんあり、個人的にとても面白かった。
なかでも興味深かったのは魂についての話。
魂とは何か、という問いに「それは生きる意味と価値のこと」と答え、
「大和魂と言えば、日本人として生きる意味と価値のこと。武士の魂と言えば、侍として生きる意味と価値のこと」と説明する。
では、魂はどこにあるのか。
「魂というものは、一にかかって人との縁で育てるものです。他者との関係の中で育むものでしかないのです」。
魂は育てるもの、というのが、自分にとって新鮮だった。
面白いな、と思っていたら、次の文章に軽い衝撃を受けた。
「この世に自分で自分の生きる意味や価値がわかる人間はいません。わかるわけがない。だって、人は皆、何の意味も価値もなく、ただ、ボロッとこの世に生まれてくるだけだからです。」
思わずぽかんとしたあと、力が抜けるような、妙な感覚があった。
そうか。もともと意味なんてないのか。
なんだ。そっか。
こういう時に「目からウロコ」っていう表現を使うのかなぁ……と思った。
同時に、自分では思い付けなかったことを考えている人の話を聞く(?)のは楽しいなと再認識。
ほかにも「死者は実在する」、「死は生者の側にある」など興味ひかれる話がたくさんあった。
人間の根本に関わるものが浮かび上がってくる。
「魂の行方を決める場所」であり、「死者への想いを預ける場所」、霊場・恐山。
その地に立って、その空気を吸ったら、何を感じるんだろう、と思わず考えてしまった。
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南直哉『恐山 死者のいる場所』
新潮社(新潮新書)
2012
