足利成氏 | 月を見上げるもぐらのように

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日記及び読んだ本や面白かったサブカル感想(ネタバレ有り)を書きたい、なと思ってみたり、みなかったり。

この備忘録は、長重が仕入れた情報を元に、僕の考えた〇〇(妄想成分あり)を書いているので、

史実と違う!
嘘を書くな!
大好きな〇〇を馬鹿にするな!

等のコメントは受け付けておりません(笑)

もし訂正させたい場合は、具体的な内容と、確認出来る資料の提示をお願いします。


先に書いた関東戦国全史に登場した英傑の1人。

足利成氏

第5代鎌倉公方であり、後に初代古河公方と呼ばれる人物です。

父親は、第4代鎌倉公方 足利持氏。
永享の乱で幕府と対立、敗北して滅んだらしいですが、本には記載が無かったので、よく分かりません。
興味ある方は、Wikipedia先生へGO

成氏さんの話に戻ります。

持氏敗死後、第5代古河公方に擁立された成氏。
成氏を擁立したのは、室町幕府の強い影響下にあった、関東管領上杉氏と対立する国衆、結城氏、小山氏、宇都宮氏など。

成氏は最初、幕府と協調路線を目指したが、上杉氏麾下の長尾氏や太田氏との武力衝突や、幕府の方針転換の影響で頓挫してしまう。

協調路線を諦めた成氏は、関東大乱の引き金を引く...。

関東管領 上杉憲忠を謀殺( ˙-˙ )っ🔪
この事件がきっかけとなり始まった大乱を享徳の乱と呼ぶ。

主君 憲忠を討たれた、山内上杉氏 家宰(かさい)の長尾景仲(ながおかげなか)が主体となり、成氏勢に抵抗。

室町幕府は時の将軍 足利義政 指示の元、成氏を朝敵とした。
幕府は成氏討伐の為、越後上杉、駿河今川にも出陣を要請し、今川勢は鎌倉を占拠した。

しかし、成氏勢は麾下国衆の奮戦もあり、上杉勢を圧倒し、成氏自身も、本拠地を鎌倉から、有力国衆と連携しやすい古河へと移した

※今川勢が鎌倉を占拠したのは、成氏が古河に移って以降の話なので、鎌倉を追われた訳では無い。

その後、上杉勢と武力衝突を繰り返す成氏勢への新たな一手として、幕府は将軍 義政の兄弟 足利政知を新たな関東公方として、送り出す。

しかし、政知に幕府や上杉勢が求めていたのは、成氏に対抗する象徴としての役割だけだった事も有り、伊豆国 堀越に拠点を築き、政知は堀越公方と呼ばれるようになる。

享徳の乱が長期化すると、上杉勢の中で関東管領だった上杉房顕が陣没し、新たな関東管領に越後上杉家から養子入りした上杉顕定が就任する。

享徳の乱の長期化は、室町幕府の本拠地 京の都にも影響を及ぼすようになる。
成氏討伐に拘る、将軍 義政は三管領の畠山や斯波の家督継承に介入し、有力守護家の対立を深刻化させ、遂に応仁の乱の火蓋を切ってしまう

そして、享徳の乱が続く関東では、関東管領に就任した上杉顕定が、家宰の地位を、それまで引き継いできた、白井長尾氏(しろいながおし)から総社長尾氏(そうじゃながおし)に変えた事を不服とした、

白井長尾氏当主 長尾景春が顕定に反旗を翻す!


長尾景春の乱勃発。

景春の反乱の影響で、混乱する上杉勢、これを好機と見た成氏勢は、景春を支援して上杉勢に圧力をかけたが、景春の天敵 太田道灌(おおたどうかん)が動き出し、景春勢は道灌に連戦連敗するが、諦めの悪い景春は抵抗を続け、上杉勢は景春勢討伐を優先すべく、成氏と和睦する事になる

※成氏は上杉勢との和睦の条件に、幕府と成氏の和睦の仲介を約させる。
そして、上杉勢と和睦した成氏は、景春への支援を打ち切った。

それでも景春は抵抗を続け、上杉勢が景春との戦いが続いている事を理由に、幕府との和睦仲介を行わない事に憤った成氏は、景春に再接近し、幕府との和睦交渉を行わせたが、その動きに危機感を強めた、上杉勢によって景春は追い詰められ、遂には景春は成氏の元に逃げ込んできてしまう

長尾景春の乱が鎮圧されてしまい、幕府との和睦への道が閉ざされた成氏は、交渉ルートを越後上杉家に求めるようになる。

関東管領 上杉顕定の実家であり、有力守護家でもあった越後上杉の要請と、関東に有力な勢力を保ち続ける成氏を降すことを断念した幕府は、殆ど空気と化していた(笑)堀越公方 足利政知に最低限の保証を確保して、成氏と和睦した。

※成氏は、享徳の乱 初期から、上杉勢の力を抑えた上での、関東統治を目指しており、30年近い争乱を経て、成氏が望んだ状況を幕府に承認させる事に成功する。


長期化した享徳の乱が、終結した後、かつての上杉勢の中で内紛が勃発する。

長享の乱の始まりである。

長享の乱は、享徳の乱で盟主を務めた山内上杉氏の上杉顕定と、長尾景春の乱で活躍した、太田道灌を要する扇谷上杉氏の上杉定正の戦いである。

※太田道灌は、乱の前に上杉定正の指示で謀殺されている( ˙-˙ )っ🔪。

顕定と定正の起こした大乱は、かつて敵対した、足利成氏や長尾景春を巻き込み、激化していくが、足利成氏は長享の乱の中途で、陣没してしまう。

享年64才

関東に大乱を巻き起こし、朝敵にされても諦めず、武力と交渉力を駆使して、自らの望む結果を掴み取った一代の英傑。

しかし、成氏が築き上げた勢力は、次代 足利政氏の代でもろくも崩れ、古河公方足利氏は、歴史の流れに飲み込まれていきました...。

切ないね~( ´ . _ . ` )シュン

だからこそ!歴史って面白いんですけどね(๑•ω•́ฅ✧︎キラッ