栃尾城迷走戦【前編】 | 月を見上げるもぐらのように

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4月15日の土曜日に、秀次の山城関係の先生、山ちゃん(仮)と栃尾城に行ってきました。

栃尾城と言えば、越後の英傑【上杉謙信】の初陣の地として有名ですね。

{79D85B89-6E93-4D56-A69C-F065B677F717}栃尾城の麓にある秋葉公園に居る謙信公です。
デビュー戦の地なんだから、若々しい長尾景虎の像にすれば良いのにって思うのは秀次だけでしょうか?

天気は生憎の雨でしたが、傘さして攻めて来ました。

今回初の栃尾攻めだったので、Wikipediaで栃尾城の戦いを調べて行ったのですが、概要は長尾景虎(謙信)を若造と舐めてかかって来た敵軍を軍勢を二手に分けて、一手を城外に出して敵軍を奇襲し、同時に城に詰めていた軍勢で挟撃して勝利したとなってました。

{1D141053-5477-4F44-96C9-964D1F6409AE}栃尾城の入り口にある
栃尾城址図です。
今回迷走戦ってタイトルになったのは、全てこの城址図を頼りに登ったからです(汗)

{768D8429-343C-4249-9957-525C280F89CA}それでは、栃尾城迷走戦スタートです。

城址図を見てみると、最初に後藤曲輪と言う広場に出るはずでしたが、あるけどあるけど出て来ません、そして後藤曲輪の側にあるらしい八幡社も見えて来ません。

山ちゃんと、後藤曲輪って何処にあるんですかねって言いながら歩き続けたところ、遂に広場に出ました。

{070B348C-2D69-4BAE-A318-5793E60846ED}馬場跡、馬責め場でした。
2900㎡の広さがあるそうで、実際かなり広いスペースがありました。
でも、本拠城でもない中越の栃尾にこんなに広い馬場が必要なのかな?って頭をひねってました。

上杉軍は特段騎馬隊を多く配備してるって話も聞かないですしね。

{67134428-2A55-4214-86CB-8DDF179A4E02}城址図によると、馬場は印のあたりになるみたいです。

お解りでしょうか?図にある後藤曲輪などに出ることなく、気付いたら馬場に着いてました。

{A13020F1-2267-4C4D-BF7C-7FB9934C577C}ここが、馬場と千人溜まりの間にある大空壕です。
全然整備されてる感じじゃなく、大空壕の先までは行けませんでした。
山ちゃんの予想では、この空壕を進めば三ノ丸方面にいけるんじゃないかと言ってました。

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大空壕は印のある場所あたりでした。

大空壕を挟んで反対側の
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千人溜まりです。
写真では解りずらいですが、奥は段々になっていましたが何の為だったのか謎でした。

千人溜まりをウロついた後は更に上に登ります。

{82B3435E-4AF2-4AF4-9BE1-71769A543549}上の方はまだ雪残ってました。
軽装で行ったので、この段階で足元ぐちゃぐちゃだったのですが、ここで秀次だけ転んでズボンまでぐしょぐしょに〜(´;Д;`)

{AB793EDA-F884-4478-A90A-A574E215B00F}写真じゃ全然解りませんが、この雪だらけの場所は本丸したの金銘泉と言う水手だったようです。

泉があった形跡は見当たらなかったですけどね。
井戸だったのかな?

{E10EBCD0-9CDD-46ED-BFD5-FF38EEC03894}本丸です。
まだ冬仕様で看板とかも伏せられてました。
{77CB785D-C7FC-4B0B-A9F3-8331BF674DBD}本丸から見た金銘泉です。
この角度はエグかった:(;゙゚'ω゚'):

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{CBFE35FF-D05D-4F87-9A71-07EE89E18056}本丸の看板です。
南北朝時代に下野の芳賀某が築城し、室町期には本庄氏の持城になっていた。
景虎初陣後、御館の乱で三郎景虎に味方した本庄秀綱が景勝派に落とされて、上杉会津移封後堀氏が引継ぎ、堀氏改易の際に廃城になったってなってました。

写真がこれ以上貼れないようなので、後編へ続きます。