ふとパソコンの画像を探していたら、
昨年他界した親父がパソコンでつくったハガキデータ↓が出てきた。

1983年10月3日、実家が阿古地区の埋没した集落にあったので、
お店も家も中学までの写真やたくさんの思い出も含め、全てを失った。
噴火直後、親父がNHKのNC9のインタビューでコメントした映像↓※木村太郎さんが若い!
親父はこの時たくさんの写真を撮っていたし、
その年の報道部門でアサヒグラフ賞候補にもなった。
※ネガを提供するのが嫌で、「思い出は売らない!」と言って、賞を断ったらしい。
ピントがあっていない写真だけど、この写真がミラクルだったと親父は言ってた。

今のようにデジタルで撮った写真がその場で確認できない頃のフィルム写真
このオレンジとブラックのバランスと中心にVの構図、
燃えたぎる溶岩とレンズが割れるかと思うくらい熱い炎
※噴火から逃げながらレンズも限られたものしか持ってなかったらしい。
いまこの写真を見ると、あらためて凄いなぁ~と。
昔のプロカメラマンはカメラを構えたら、
自分の脳に描いた絵がフィルムに焼きつくことを信じて、
シャッターを切っていたんだろうと、改めて思いました。
私は今、議員と言う仕事もしていますが、全国で起こっている災害のこと、
少しは自分の立場で感じ、思いやる気持ちはあると思っています。
そして辛いし、大変だけど、少しでも前に何かが進むことは、
きっと夢や希望のモチベーションに繋がると信じています。
一歩でも前に!!!
10月3日が来ると、自分にそう呟き、言い聞かせています。

