「はぁ…最悪」


私は文机に俯した秀吉を一人残し部屋を出た。


三月と言えども風は冷たく、軽く身震いをしながら廊下を渡る。


台所まで来たものの、やはり誰一人居なかった。


「…」


台に黄金色の菓子らしきものが入った小瓶が二つ放置されている。


一つは私へと渡すものだろう。


以前空になった瓶を琴音に渡すと、嬉しそうに「また作りますね」と笑っていた。


もう一つは…


「秀吉に…だろうな」


空の小瓶を手渡した時、私が「仕事が詰まっている時の良い気分転換になる」と言うと、彼女はボソボソと「秀吉様にもお渡ししようかな」と呟いていたのを思い出していた。


「何故私がこんなお節介を…はぁ…最悪」


私はため息を一つつき、台所を後にした。






「…」


秀吉の執務室へと戻ろうとしたが、どうやら城内で迷ったらしい。


「要らぬお節介は焼かぬものだな」


静まり返る廊下を歩いていると、前から大きな鉢を抱えた琴音が歩いてきた。


琴音は私に気づくと軽く頭を下げ、俯いたまま通り過ぎようとした。


「待て」


琴音の肩が震える。


「秀吉と諍いをしたらしいな」


琴音は泣きはらした顔を隠す様に俯いたまま「いいえ」と答えた。


「はぁ…最悪」


何時ものように口から漏れた私の口癖に過剰に反応したのか、琴音の肩が震えた。


ため息を一つつき、またついて出そうな口癖を飲み込む。


「あなたは何処へ行くつもりだ?」


「台所に…金魚の水を替えに」


見れば鉢の中には二匹の金魚が泳いでいる。


「付き合おう。私は水が飲みたい」


私は琴音と共に今来た道を引き返して行った。






「その金魚はあなたが飼っているのか?」


「はっはい…あの…夏に屋台で…秀吉様に取っていただいて…」


琴音はそっと二匹の金魚を別の器に移し、鉢を水で洗っている。


「意外に長生きだな。育て方が良いのだろう。名は?」


一瞬躊躇した素振りを見せたが、やがてボソボソと「白玉と赤飯です」と答えた。


「個性的な名だな」

 

私は両手で金魚をすくい出し、新しく水を張った鉢に移してやった。


金魚は一瞬手の中で苦しげに暴れたが、やがてゆったりとした鉢の中で悠々と泳ぎ始めた。


「秀吉に悪気はなかった…と思う」


「…」


「だだアイツは少々阿呆だからな」


琴音は驚いた顔を私に向けた。


「阿呆の為にあなたが気に病む事はない。単なる失言だ。…と言っても優しいあなたの事なら…」


気に病んでもしかたがないと言いかけたところで、琴音がクスクスと笑い声を上げた。


「ふふっ…半兵衛様がそのような事を言うなんて」


泣き腫らした顔で笑う琴音に痛々しさを感じた。


「長い付き合いだからな。秀吉の事は良くわかる」


そして気がつけば、少しでも自分の言葉が彼女の気晴らしになったのなら…と思っていた。


「はぁ…私も少々阿呆の様だ」


私が小さく呟いた言葉は春の夜にとけていった。