俺、織田信長は自室で一人文机に向かっている。
そして積み上げた書類の山にさらに一冊積み上げひとりごちる。
「光秀め…」
段々と笑いが込み上げ、ついには声を上げて笑いだした。
「御屋形様、笑っていても仕事は無くなりませんよ」
襖がスパンと開き、光秀が何時の渋い顔で現れた。
「ふん…ならばこれを見よ!」
俺は山積みの書類を顎でしゃくった。
「…これは」
光秀は次々と書類を確認しては、感嘆の声を上げる。
「御屋形様!やはり御屋形様は素晴らしい!やる気を出せば出来るではないですか」
「ふん…当然であろう」
満足そうな顔を浮かべた光秀は書類を抱えて、信じられぬような言葉を発した。
「では続きをお持ち…」
「おい!待て!」
「何でしょう、御屋形様」
「貴様は俺がこの書類の山を片付けた理由がわからぬのか?」
「と、言いますと?」
こやつは仕事以外の用事が思いつかぬのだろうか。
「祭りに行く」
「誰がでございますか?」
(ここまで話が通じぬとは…)
「俺に決まっておろう。陽菜も連れて行く」
「御屋形様、またそのような危険な事を!」
「俺の側が一番安全である事は、貴様がよく知っているだろう」
光秀は深いため息をついた。
何とか俺を言い負かす言葉を探っているらしい。
「不満であれば貴様も祭りに行くが良い。最近懇意にしている女中を連れてな」
「なっ!」
光秀の顔がみるみる赤く染まる。
「女には今日一日暇を出しておいた。あとは好きにするといい」
俺は光秀の横をすり抜け、陽菜が待つ城門へと急いだ。
「わぁ!賑わってますね!」
紫紺に赤い金魚の柄の浴衣を着た陽菜は、幼子のようにはしゃいでいる。
動くたびに夜の空に金魚が舞うように見えた。
(俺の見立てに間違いは無かった)
だが、満足気に笑う俺に向かって陽菜は急にしょんぼりとし始めた。
「あの…本当に良かったのでしょうか?信長様はお忙しい身であるのに時間を割いていただいたり、私だけお暇をいただいたりして…」
「つまらぬ事を気にするな。あのるぅとか名乗る女中にも暇を与えた。あとは光秀次第だろう」
「そうですか!良かった!」
ぱぁっと笑みを零す陽菜の単純さに、笑いが込み上げる。
「まぁ、あの堅物が動くかは知らぬがな」
「えー…」
がっくりと肩を落とす陽菜の小さな体を引き寄せた。
「今晩は俺だけの事を見ていろ。他のものに気を取られるのは許さぬ」
「はい、信長様」
「のぶだ」
「えっ?」
「今はただの『のぶ』だ」
指を絡めるように握りしめると、陽菜の顔はたちまち金魚の様に真っ赤に染まった。
「はい…のぶさん」
陽菜は照れ臭そうに俯きながらも、俺にそっと身を寄せた。
「あれはなんでしょう?」
賑わう露店を眺めていた陽菜が、何かに興味をそそられたらしく指を指す。
近づくとりんごに棒を突き刺し、その上から赤い液体をかけた菓子らしき物を作っていた。
「気になるのか」
俺は店主に銭を渡し、りんご菓子を一つ手に取る。
「赤い液体は飴の様だな」
陽菜に手渡すと、恐る恐る口にした。
「…甘い!おっしゃる通り飴です。果物に飴をかけるなんて発想は思いつきませんでした」
「美味いか?」
「はい!のぶな…のぶさんもお味見どうぞ」
俺は差し出されたりんご飴へと顔を近づけた。
視界にキラキラと目を輝かせる陽菜の様子が映る。
(ふっ…まるで子供だな)
俺は陽菜の唇に軽く口づけを落とした。
「ん…甘いな」
陽菜はりんごの飴より真っ赤な顔で、立ち尽くしてる。
「なっなっなっ…」
口をパクパクさせる仕草が餌を求める金魚のようで、笑いが込み上げてくる。
「なんだ?まだ足りぬか?」
再度顔を近づける。
「ちょ…こんな往来で…」
「人気の無い所なら良いと言う事だな」
「違っ…」
陽菜の言葉を遮るように唇を軽く塞ぐ。
陽菜はさらに顔を真っ赤にし「もう、知りません」と言って拗ねてしまった。
だがそんな姿も酷く愛おしい。
(大六天魔王とも呼ばれる俺が腑抜けになるとは。そうさせる事が出来るのは陽菜、貴様だけだ)
「拗ねていては『花火』が見れぬぞ。いい加減機嫌を直せ」
「『花火』?ですか」
拗ねていた事も忘れたように、陽菜はまた目をキラキラさせた。
「祭りの目玉だ。火薬を使って夜空に花を咲かせる」
「わぁ!見たいです!あの…のぶさんと二人で」
陽菜の細い指が俺の指に絡まる。
「ふっ…愛いやつめ」
俺は陽菜の手を握りしめ、往来の中を進んで行った。
「止めてください!」
喧騒の中、突然女の叫び声が響いた。
「のぶさん…」
陽菜が心配そうな顔で俺を見上げた。
「ちっ…こんな日に面倒事を起こすとは」
陽菜を守りながら騒ぎの元へと突き進む。
その先には一人の女が子供を庇いながら腕を広げていた。
対する相手は何を叫んでいるか聞き取れないほど泥酔していた。
女の方は見覚えがあった。
(赤狐…鳴神と一緒にいた、あの薬師ではないか…)
猿が『あの子の薬は本当に効く』と絶賛していた事を思い出した。
(あの女はただの薬師では無いな。正義感や気が強いだけでは、あの様に酔っ払いに対抗は出来まい)
女は酔っ払いの怒号に怯む事なく、睨みをきかせている。
何度めかの言い合いの後、酔っ払いが手を振り上げた。
女は怯む事なく、子供の前で仁王立ちしている。
「此処から離れるな」
陽菜に短く声をかけ動いた瞬間、俺の視界の中で何かが動いた。
「人の女に勝手に手を出さないでくれる?」
突然現れた赤狐が酔っ払いの腕を取り、あっという間にねじ伏せしまう。
その動きは常人のものとは思えぬほど、鮮やかであった。
「良かったぁ…」
様子をうかがっていた陽菜は安堵の声を上げ、俺の手を取った。
「のぶさん、助けに行こうとしてくれたんですね。有難うございます」
「何故貴様が礼を言う?」
「だって…のぶさんが優しいから」
「他人への優しさに礼を言うなど…やはり貴様はおかしな女だ」
陽菜は照れたような顔をして俺を見上げる。
「しかし…思わぬ面白いものが見れたな」
俺は赤狐に気づかれぬ様に、陽菜を連れてこの場を去った。
俺達は人混みの中をすり抜け、開けた場所へと出た。
「そろそろ刻限だ」
遠くからヒュッと音が鳴り、漆黒の空に花が咲いた。
「のぶさん!見ました?!夜空に花が!」
「まだ大きいものが来るぞ」
次々と打ち上げられる火薬は火の花となり、夜空を明るく彩っていく。
「あの…戦で使っている火薬が…あの様な花火になるのですか?」
「そうだ」
陽菜は複雑そうな顔をしながら黙りこくる。
「恐ろしいか?」
「正直…火薬は人を殺める道具ですから…でも」
陽菜は俺の目を真っ直ぐに見つめ、こう言った。
「でも、人の心を癒やす道具にもなるのですね」
「…」
予想外の返答に驚きが隠せず、呆然とする俺に陽菜は言葉を続ける。
「私はのぶさん…信長様が戦い無き世を作ってくれると、そう信じています。だから怖くはありません」
陽菜がトンッと俺の肩にもたれた。
「花火…綺麗ですね」
花火に照らされた陽菜の顔は穏やかだった。
「あぁ」
俺はこの女の為に生きたいと…
(らしくない…)
らしくないと思いながらも、俺は強くそう願った。
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月の章SSで連載中の夏祭りの華の章バージョンでした
信長さまの金魚すくいとか色々書きたかったエピソードがあったのですが、月の章と連動させたシーンを書きたくて断念╭( ๐_๐)╮
とにかく信長さまと夏祭りを楽しみたかったんです⁝( ;ᾥ; )⁝
この後は月の章の夏祭りをアップしていきます
作中のヒロインの名前は華・月とも共通して『陽菜』ですが、同一人物ではございません