買い出しの帰りに小物などを眺めていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「ソウよ!今日は聖人ウァレンティヌスが殉職した日。ウァレンティヌスは婚姻を禁止したローマ皇帝にソムキ、内緒でコイビト達に結婚式をアゲさせていたの。それがローマ皇帝に知られて殉職シタのよ」


(やっぱりザビちゃんだ)


サビちゃんは異国から来た宣教師だ。


何時も珍しいものを見せてくれたり、変わった事を教えてくれる。


私はザビちゃんに近づき声をかけた。


「ザビちゃん、なぁに今日はお祭りなの?」


「あら陽菜じゃない!そーなのよ。今日は一大イベントなのよ!」


イベントの意味はわからなかったが、何か楽しい催しの日であるのは確からしい。


「陽菜も贈らナイ?チョコレート」


見れば真っ黒な塊が並べられている。


「ちよこれいと?甘い匂いがするから甘味なのね」


「ソウよ!Mr.ノブナガに贈るとヨロコブわよ」


ザビちゃんは綺麗な包みを手にして興奮気味だ。 


「変わったものを信長さまに贈るなら、ザビちゃんから献上した方が良くない?」


「オー!ソレがね…」


ザビちゃんは以前信長さまに様々な品物とともに『ちよこれいと』を献上したが、何故かそれだけ突き返されたと言った。


「ヤッパリね…特別な人からじゃないとイミが無いのよ。だってチョコレートを贈るのはラブの意味だもの」


「えっと…『ちよこれいと』を贈るのは『愛してます』って意味ってこと?」


「そうよー!陽菜はカシコイわ!でもコクハクは今日ゲンテイなのよ」 


甘い物なら信長様は喜んで食べるだろう。


(信長さまと恋仲になってから、恋仲らしいことは何もしていないなー)


そもそも恋仲になったのかも、私はいまだに半信半疑でいるのだ。


(これがあればさり気なく自分の気持ちをお伝え出来るかも…よし!)


「サビちゃん!『ちよこれいと』の作り方を教えて!」






城に戻った私は手早く夕餉の支度をし、食後の甘味として『ちよこれいと』をお出しするための支度を始めた。


しかし初めて作る甘味の為、要領良く事は進まず…


「で…出来た…」


『ちよこれいと』が形になった時には、台所には誰もいなかった。


「誰にも試食して貰えなかった…」


静まり返る台所で、私は出来上がった『ちよこれいと』を一つつまみ口へ運ぶ。


「ん!甘くて美味しい!」


初めて口にした『ちよこれいと』は今まで食べたことのない、極上の甘さだった。


(これなら信長様に喜んでいただける)


「甘味が来ないと思えば、貴様一人で食らうつもりか?」


振り向くとそこには、不機嫌な顔をした信長様が仁王立ちしていた。


「もっ申し訳ございません。今出来上がりまして…」


「罰だ。その甘味を食わせろ」


「はい!もちろんです」


私は『ちよこれいと』の乗った器を差し出した。


しかし信長様は微動だにしない。


「俺は『食わせろ』と言ったはずだ」


しばらくその意味を考えてみる。


「………」


ようやく正解らしい答えに辿り着き、急に顔が熱くなる。


私は『ちよこれいと』を一つつまみ、信長様の口元へと運んだ。


指ごと『ちょこれいと』を口に含んだ信長様は、満足げに「美味いな」と呟いた。


それ以降も信長様は自分で『ちよこれいと』を口にする様子はなく、私は次々と『ちよこれいと』をつまみ、信長様の口元に運んだ。


「ふふっ…」


「なんだ?」


「信長様が餌を待っている雛鳥みたいに思えてきました」


「ふん…」


信長様は少し不機嫌な顔をして顔を背けた。


(信長様って可愛らしいところあるんだよね)


「はい、これで最後です」


最後の『ちよこれいと』を口にしたことを確認した私は、器を下げようと信長様の側を離れようとした。


「待て」


「えっ?」


腕を掴まれた私は体の均衡を失い、信長様に抱きつくような格好になった。


「まだ残っている」


そう言って信長様は私の顎をつまみ上げ、私の唇を啄むように口付ける。


「うん…最後のひと粒が一番美味いな」


そう言って信長様は満足げに笑い、もう一度唇に口付けを落とした。




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四半時前のこと。


「遅い…」


苛立ちを隠せず鉄扇を開け閉めしていると、光秀が書類の山を文机の上にドサリと置いた。


「甘味を食らわんと仕事は出来ぬ」


「御屋形様、そのような子供のような言い訳を…」


光秀はしばらく考える仕草をした後、「そう言えば」と切り出した。


「陽菜の姿が見えないと思っていましたが、一人台所で甘い香りのする黒い物と格闘しておりました」


「…」


甘く黒い物と言えば、先日来た怪しげな宣教師が差し出した『ちよこれいと』という食べ物を思い出した。


(あれには強く興味を惹かれたが…あの怪しい宣教師が『これはラブをツタえる特別な食べ物』と言い出した時に嫌な予感がして突っ返したのだ…もしやあれのことか)


宣教師はあれを『特別』だと言った。


だからあれを贈る相手も『特別』であるはずだ。


(もしそうだとしても人が良い彼奴の事だ。声をかければ誰にでも寄越すかもしれぬ)


俺は光秀が止めるのも聞かず、台所へと足を向けた。






台所を覗くと、陽菜が一人で何かを手にしながら佇んでいた。


陽菜が手にしていたものは案の定『ちよこれいと』というものだった。


陽菜は満足げに笑みを浮かべながら『ちよこれいと』を口にしている。


その口にはべったりと黒いものがついていた。


(ふっ…まるで子供だな)


「さて、俺をひどく待たせた代償をどうするかだが…」


赤い顔をして慌てる陽菜の姿が目に浮かんだ。


「ふっ…やはり奴は面白い」


(そして愛おしい…もう手放せぬ) 


俺は薄く笑みを浮かべる。


(この俺が愛おしいという感情を持つとはな)


それは俺にとって陽菜が『特別』ということなのだろう。


「ならばやはりあれは俺が食わねばなるまい」


俺は不機嫌な振りをして、台所へと足を踏み入れた。