Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen.
俺、山崎烝の父は敬虔なクリスチャンだ。
父はそれを子である俺に押し付ける事はなかった。
しかし父と一緒に毎週日曜日の教会に通うことは、俺の中でも習慣化していた。
祈りの言葉は良くわからない。
聖母マリア像にただ祈るだけ。
不思議とその行為に安心感と安らぎを感じた。
やがて俺は父には言いにくい事をマリア像に告白するようになる。
彼女は如何なる時も慈悲深い顔で受け止めてくれる。
早くに母を亡くした俺にとって、聖母マリアは母親の代わりのようだった。
あまねと出会ったのは、俺が五歳の頃だろうか。
「引っ越ししてきました天海(あまがい)と申します。こちらは娘のあまね。どうぞよろしくお願いします」
あまねは母親に連れられ、挨拶に来ていた。
「あまね、ご挨拶は?」
「…」
あまねは黙って母親の影に隠れていた。
「ごめんなさいね。父親が単身赴任で不在にしているんです。私一人だとなかなか教育が行き届かなくて…我儘だし、困ったわ」
そう言うあまねの母親は、俺が知る聖母マリア像にそっくりだった。
「いえいえ。しおらしくて可愛らしいではないですか。こちらは片親でしてね。なかなか細かな事に気がつけなくて、烝の方がご迷惑をかけることが多々あるかと…」
俺はあまねに挨拶しつつ、母親の方を気にしていた。
(聖母マリア…)
「烝くん」
「はっはい」
「あまねと仲良くしてやってね。よろしくお願いします」
あまねの母親が俺に頭を下げた。
「はい!」
それは一種の暗示のようなものだったのかもしれない。
俺は聖母マリアから『あまねを頼む』と言われたように感じた。
だからこの事は恙無く遂行されなければならないと思った。
「俺、烝。よろしく」
「すすむ…仲良くしてね」
「公園行こうか?俺の友達何人か紹介出来ると思うし」
「うん!」
俺はあまねの手を取り公園へと走り出した。
「行ってらっしゃい」
あまねの母親は慈悲深い笑顔で俺達を見送った。
お互い大人になり、あの頃とは色々と変わった。
が、俺があまねに対する気持ち…と言うか考えと言った方が正しいだろう。
それが変わることはなかった。
あまねを守らなくてはいけない。
それは愛情や好意だけではない。
俺にとっては聖母マリアから与えられた『任務』でもある。
あまねは友人に俺のことを『ペット』と言っているらしいが、なまじ間違ってはいないだろう。
俺はあまねを守る。
それがあまねにとっては『番犬』のように感じているのだろう。
この世は皆が思うほど平和ではない。
不安材料や不穏な動きはごく身近にある。
ただ気づけていない。
あまねも。
そしてこの俺も。