やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。

和歌は人の心を種として、いろいろな言葉の葉が繁ったようなものである。この世に生きている人は、いろいろな事物にいそがしく接しているので、心に思うことを、見るにつけ聞くにつけ、歌に詠むのだ。



上の和歌は紀貫之が詠んだもの。

やまとうたとは和歌の事。

日記のタイトルの『やまとことば』とは日本固有の言葉を指していて、また和歌という意味も持っている。





『やまとことば』とは日本古来の言葉を指す。

これの定義は人により微妙に違い、外来語や漢語ではないものがそれとされていたり、ひらがな言葉を『やまとことば』(←音としてひらがなに聞こえるもの)としている人もいる。

絶対ではないのかもしれないが、私がわかりやすいと思った『やまとことば』の定義は二つ。

言葉の先頭が濁音ではない

漢字なら訓読みのもの


たとえば、花瓶(かびん)は『やまとことば』に当てはまらない。

花の訓読みは『はな』、瓶は『かめ』。

花活け(はないけ)なら『やまとことば』なのだと思う。

そうそう、歌手の谷村新治さんが作詞された『昴』はすべて『やまとことば』で構成されているそうです。

だから心に優しく響くのだそうですよ。





外来語や和製英語が上手く日本人の心に取り込まれている今、『やまとことば』のみで会話をし、意思を伝えるのはきっと難しいんだろうな~と思った。

でも『やまとことば』は、何時の時代も…たとえ過去に遡ったとしても意味が通じるはず。

だからふっと気になった。

私があの人に伝えた言葉は、あれはどうなんだろうって。

何度も何度も伝えた『すき』って言葉も『やまとことば』なら、遠い過去で生きる私もきっと…何度も何度も想いを伝えるだろう。