その夜の鉄之助は珍しくおしゃべりだった。

青白い顔をしながら休む事なくしゃべり続ける。

緊張しているのだろう、声がかすかに震えている。

「鉄、お前珍しく今晩はおしゃべりだな?」

いつもの『すいません』すら口に出せないらしい。

おそらくこれから自分の身に起こる事に、何か気がついているのだろう。

「いつもの『すいません』はなしか…」

そっと頭に手をやる。

この小さな体もすぐに俺を追い越し、立派な青年へと成長していくのだろう。

「俺から見たらまだまだ子供だがな…あっという間に俺を追い越しちまうんだろうな」

俺がその姿を見る事は…きっと叶わない。

「鉄」

「は…い…」

俺は告げなければならない。

どんなに辛い思いをさせる事になっても、俺はこの少年に告げなければならない。

「お前に頼みがある。いや…お前に重要な任務を与える」

小さな体がわずかに震えた。

さらに顔を青くして何か返事をしようとしているが、上手く言葉を発する事が出来ないらしい。

「お前は一人でここを出ろ。江戸に戻って日野宿へ向え。そこに佐藤という家がある。俺の義兄の家だ。義兄さんと姉さんに、これを届けてくれ」

俺はあらかじめ用意した包みを差し出した。

しかし鉄之助は手を出す気配を見せない。

「…嫌です」

「なんだと?」

「嫌だと言ったんです!」

鉄之助は震える声で言葉を続ける。

「なぜ僕なんですか?僕が頼りないから…僕では戦えないと判断したからですか?他の人に頼んでください。僕は命など惜しくはない。逃げるのは嫌だ。この命は土方さんの為に使うと決めています。お願いです。最期まで一緒に戦わせてください」

鉄之助がこの任務を拒否する事は最初からわかっていた。

だが、俺も退くわけにはいかない。

「バカヤロウ!これは命令だ」

「その命令に従う事は出来ません!」

流れる涙を拭う事もせず、小さな体で抵抗してくる。

「この命令が聞けないのなら…容赦なく斬る」

刀に手を当てたが、それでも怯む事なくまっすぐに俺を睨み返している。

「僕はこの地で土方さんと共に最期まで戦います」

「いいか…ここを出ろ。お前一人でだ」

鯉口を切る音が部屋に響く。

「もう一度だけ言う。これは命令だ。この命令に背くと言うのなら…俺はお前を斬る」

ゆっくりと刀を抜いた。

「俺は本気だ。容赦はしない」

「僕も本気です」

鉄之助は膝をつき頭を下げた。

「僕はこの地で最期まで土方さんと共に戦います。この命は土方さんに捧げるつもりで蝦夷までついて来ました。お願いします。最期まで一緒に戦わせてください」

床に頭を擦るようにさらに頭を下げる。

白い肌に相反した、日に焼けた華奢なうなじが露わになった。

「これは命令だ」

俺は静かに鉄之助へと近づいた。

「この命令が聞けないのなら…斬る」

俺はそっとうなじに刀の刃を沿わせた。





「僕はこの地で最期まで土方さんと共に戦います。この命は土方さんに捧げるつもりで蝦夷までついて来ました。お願いします。最期まで一緒に戦わせてください」

必死だった。

涙が流れ、上手く喋る事が出来ない。

それでもこみ上げる嗚咽を飲み込みながら、膝をつき頭を下げた。

「これは命令だ」

土方さんの凍りつくような声が響く。

「この命令が聞けないのなら…斬る」

うなじにひんやりとした硬い感触を感じた。

やがてそれは鈍い痛みになり、じんわりと熱を帯び始める。

首に生暖かい何かがつっ…と流れ、その滴がぽたりと床に流れ落ちた。

(血だ!)

土方さんは本気だ。

一瞬、背中に寒気が走った。

(命令に反した僕を粛清するつもりだ)

体が全体が熱くなり、頭の中が混乱してきた。

(落ちつけ…落ち着け…)

僕は懐に気持ちを集中させた。

僕にはお守りがある。

土方さんにもらったお守りだ。

だから怖くなどない。

怖いはずがない。

恐怖を感じたのは最初の一瞬だけで、僕の心の中は段々と穏やかになっていく。

(僕のなすべき事は終ったんだ。ならいっそ…このまま斬られてしまおう)

そう思い目を強く瞑って覚悟を決めた。

しかし刀が振り下ろされる事はない。

刀はまだ僕の首に押し当てられたままだ。

やがてわずかな金属音が耳に入った。

首が切れる事などかまわずに、僕はそっと顔を上げた。

刀の刃が首に食い込み、さらに鈍い痛みが走る。

痛みに顔をしかめた瞬間、急に首の辺りが軽くなった。

痛みがあるものの、首に感じていた違和感はない。

そっと顔を上げると、土方さんは冷たい無表情な顔で僕を見下ろしている。

手にしている血のついた刀はわずかに震えていた。

この人は戦っている。

「鉄…戦いってのはな…刀や銃を手にするだけじゃねぇんだよ」

今、己の心と戦っている。

「生き抜く事も戦いなんだよ…」

鬼となり、僕に試練を与えようとしている。

「俺は死ぬためにここに残るんじゃねぇ。お前は一人生き残るためにここを出るんじゃねぇ。生きるために…生きて生きて生き抜いて、己の『誠』を貫き通すために戦うんだ」

「『誠』に『殉じる』のではなく…『誠』のために『生きる』のですか?」

なぜ、そんな言葉が口から出たのかはわからない。

ただ土方さんのその言葉を聞いた時、何かが心の中にスッと入ってきて、自然と自分の口が動いた…そんな感じだった。

「そうだ。鉄、お前が見た新選組を…お前の中の新選組を…義兄さんと姉さんに伝えてやっちゃあくれねぇか?日野の連中にもよ…己が誠のために突っ走って命を散らした連中がいるって事を…それでも最期まで誠の心を貫き通した連中がたくさんいる事を…お前の口から伝えてやってくれ」

「僕の口…から…」

「そうだ。お前の口から、お前の言葉で、お前が見た新選組をだ。お前なら出来る。お前だから任せられる。俺はお前に賭けたいんだ」

気がつけば土方さんは膝をつき、僕の顔を真っ直ぐに見据えていた。

「頼む…」

そう言って、寂しげな顔で笑った。

「死を恐れない事は立派だ。でも、それは命あってこそ思える事」

「そうだ」

「僕にはやるべき事がある。それを成し遂げるまでは…絶対に死んではいけない」

「お前はまだ死ねない。生きろ」

土方さんは包みをもう一度、僕の目の前に差し出した。

「土方さんは生きるために、ここに残って戦うんですよね?」

僕は素直にそれを手に取った。

「当たり前だろ。死ぬためだけにこんな辺境にくる馬鹿がどこにいる?」

「生きていれば…また会えますよね?」

「あぁ…生きていれば必ず会える。きっとな…」

そんな約束は、きっと果たす事は出来ないだろう。

「お任せ下さい。市村鉄之助、この任務必ずや果たして見せます」

それでも零れそうになる涙を堪え、精一杯笑って見せた。

「ったく…男のくせにメソメソするんじゃねぇ」

「すいません…」

「謝らなくていい」

大きな手が僕の背中を優しく撫でる。

途端に心の張り詰めていたモノが決壊し、我慢出来ずに嗚咽をもらした。

「ったく…やっぱりガキだな。しかたがねぇ…今晩はでけぇ声で泣いても誰も気づきかねぇから、今のうちに泣いとけ」

「はい…」

外から聞こえる喧騒がひと際大きく響いた。

僕は声を上げ、ただひたすら泣いた。