「鉄、おめぇは飯食ったのか?」

「えっ?あっ…はい」

突然声をかけられ、僕は咄嗟に返事を返した。

「そうか」

僕は机の上のおにぎりをじっと見つめた。

本当はお腹が空いている。

この戦況の中、まともな食事を取れる日は少ない。

だが土方さんは食べる事も寝る事さえも惜しんで、毎日仕事を続けている。

僕が食事を運ばなければ、何も食べずに何日も過ごしてしまうような人だ。

(我慢、我慢…)

しかしおにぎりを眺めていては我慢で出来そうにない。

(お腹の虫が鳴く前に退散しよう)

「では、失礼します。」

深々と頭を下げた途端

ぐ~

「あっ…」

「ククッ…やっぱり腹は正直だな」

顔が熱くなるのがわかる。

(穴があったら入りたい…)

「すいません」

踵を返し、急いで執務室を立ち去ろうとした。

「おい、ちょっと待て」

土方さんは僕の腕を強く引き立ち止まらせる。

「ほら」

そして僕におにぎりを一つ差し出した。

「どうせ体の大きいやつらに飯取られて、おめぇはまともに食ってないんだろ?そこの椅子持って来い。ここに座れ」

そう言いながら自分の隣を指差す。

「いえ…」

大丈夫ですからと答えようとしたが、こんな簡単な嘘はすぐにバレてしまうだろう。

僕は素直に椅子を引きずり、土方さんの横に腰を下ろした。

「味噌汁も半分飲め。熱いから気をつけろ」

「はい…」

チラリと土方さんの顔を盗み見る。

慈愛に満ちた優しい笑顔。

土方さんには入隊当初から厳しくされてきた。

仕事を失敗しては怒られ、罵声を浴びせられ、殴られた事も数回ある。

しかしふいに優しい顔をする。

人の心を見透かしているのか、今のように優しい言葉をかけてくれる。

僕はそれがこの人の当たり前なんだと思っていた。

しかし、土方さんと長い付き合いの隊士達は、皆口を揃えてこう言った。

『蝦夷に来てからの土方さんは変わったよな。ずいぶんと優しくなった』

「まぁ…優しいところは元々あったけどよ。あの人は自分にも他人にも厳しいからな。土方さんの手で粛清された奴は何人いる?多すぎて手の指だけじゃ数えきれねぇよ。足の指も持ってこないとな」

カラカラと笑う古参の隊士に向かって、僕はポツリと呟いた。

「そうですか?何一つ変わってなどいないと思います。土方さんは人の心の痛みがわかる優しい人です。そして忠義にあふれた高潔な人です」

「お前いっちょ前にわかったような事いうじゃねぇか。お前みたいなガキにあの人の何がわかる」

「何って…」

僕はそれ以上何も言えなかった。

(僕が見ている土方さんは偽者なのかな…)

兄がこの人の中に見たものが正しくて、僕が見たものは間違っているのだろうか。

あの時…兄との決別を決めた時、僕は一生この人について行こうと決めた。

もしかしたら僕は…あの時決断を間違えてしまったのだろうか。

「なんだ?人の顔をジロジロ見やがって…顔に飯粒でもついてるのか?」             
「すいません。つい見入ってしまいました」

「俺の顔なんざ眺めたって、楽しい事なんかあるわけねぇだろうが」

「そんな事はありません。皆『役者のような顔だ』と言っています。桜の花のように多くの人の心を惹きつけ、けして心から離さないと」

「桜ねぇ…そんな綺麗なもんじゃないだろ?」

「土方さんは桜の花がお嫌いなのですか?」

「…鉄、今日はずいぶんとおしゃべりだな」

ずいぶんと喋り過ぎている事に初めて気がついた。

「すいません…。女のようにペラペラと…つい、喋り過ぎました」

「お前の悪い癖はすぐに謝る事だな。悪いとは言ってない。俺はお前と会話をする事が嫌いじゃない…楽しいと感じたから話を続けた」

「すいませ…あっ…すいません…」

「ふっ…口癖だな『すいません』は。いいか、本当に謝るべき時以外は謝らなくていい。堂々としてろ。男だろうが!」

大きな手が僕の背中を強く叩いた。

「はい!」

温かくて大きなものが、僕の心の中にスッっと入ってきた気がした。

「桜は嫌いじゃねぇ。だがな、少々上品過ぎる。女に例えるなら…そうだな、皆に愛されている八方美人だ。面白みがねぇし、扱いにくくてしかたがねぇ」

「では、土方さんは何の花が一番お好きですか?」

「一番か?」

ふと優しい笑みを浮かべ、どこか遠くへと視線を向ける。

「梅だ。梅は桜に比べたら花の数は少ねぇし、華やかさもかける。だがな、あの白の美しさは…桜の薄紅色に勝る。鉄、おめぇは梅の花が暗闇の中、ぼんやりと光る姿を見た事があるか?」

「暗闇の中の…梅…ですか?」

その言葉を聞いた僕は、暗闇の中で立ち尽くす土方さんの姿を思い浮かべていた。

たくさんの屍の中で血に染まった刀を握り、その青白い相貌に返り血を浴び無言で立ち尽くす…そんな土方さんの姿を思い描いていた。

「うめのはな さけるひだけに さいてちる」

僕がぼんやりとその言葉を口にした途端、何故か土方さんの顔色が変わった。

「鉄!おめぇその歌をどこで憶えてきた?」

強く肩を掴まれ揺さぶられ、僕は危うく食べかけのおにぎりを落としそうになる。

必死におにぎりを掴み直し、ひどく驚いた顔の土方さんへと視線を向けた。

「あの…以前沖田さんのお世話をさせていただいた時に、沖田さんから教えていただきました。夜、一人で庭を眺めていたので声をかけたら『梅の花を見ているんだ』とおっしゃって…。僕が『綺麗ですね』と答えたら、笑いながらこの歌を教えてくれました。豊玉という有名な歌人の歌だそうです。聞き覚えなので少し違うかもしれませんけど…そうか!土方さんもご存知なんですね」

僕は袂からそっと一枚の紙を取り出した。

「己の誠の為に戦い、潔く散っていく…。この歌は武士の魂…いえ、新選組そのものを歌っている…僕はそう思います。歌の良し悪しなどよくわかりません。でも、この歌はとても気に入ってます。可笑しいかもしれませんが、この歌を書き写した紙をお守りにしているのです。これを見ると、不思議と死ぬ事が怖くなくなります」

土方さんは僕の下手な字を見て「拙いな…」と苦笑いをした。

「おめぇはこの歌がそんなに好きなのか?」

「はい」

「ふん」

土方さんは鼻で笑い、机から紙を一枚取り出して何やらサラサラと書き始めた。


梅の花 咲ける日だけに さいて散る   豊玉


「お前にやる。新しい守りにしろ。本人の直筆だからな…せいぜい大切にしろ。」

「はい?」

「それから…」

少し寂しげに笑いながら、僕の頭をそっと撫でる。

「死を恐れない事は立派だ。だがな…それは命あってこそ思い言える事だ。自分の命は自分で守れ。犬死なんざするんじゃねぇぞ。お前にはまだなすべき事がたくさんある。それをなすまでは絶対に死ぬんじゃねぇ。いいな、約束だ」

「はい!」

そしてその『なすべき事』は、ある日突然僕の身に降りかかる事となる。

僕はまだそれを知るよしもない。