今日俺は病床の総司の見舞いに来ていた。

総司は俺の言葉に黙って耳を傾け、時折クスクスと悪戯っ子のような顔で笑っている。

「ホント土方さんは優しい人だな」

青白い顔をした総司がポツリと呟いた。

「俺が優しい?ふん…総司、お前何言ってやがる」

「優しいですよ。今も昔も…。何も変わらないな…貴方は。なんだか安心する」

そう言いながら自重気味な笑みを浮かべた。

今日が俺との別れの日だと、きっと気がついているのだろう。

総司の体は刀を握る事さえ出来ないほど衰弱している。

本当はこうやって体を起こし、ただ会話をする事さえも困難なのかもしれない。

「俺は新選組の鬼副長だぞ?鬼の側にいて安心するなんて…総司、お前はやっぱりおかしな奴だ。まぁいい、今度来る時は甘いモン持ってきてやる」

もうここに来る事はない。

「ふふっ…おだてた甲斐があったな」

総司もそれを知っている。

「お前の魂胆なんざお見通しだ」

そう言いながら総司の頭を軽く小突いた。

しかし、総司の姿は頼りなさ気に俺の目の前で揺らめき始める。

「総司?おい…総司!」

総司の腕を掴もうと手を伸ばした。

しかしその先に総司はいない。

あるのは黒い闇。

俺が手に掴んだものは、黒い虚空だった。

「総司!?」

気がつけば俺は五稜郭の執務室にいた。

机の上には書きかけの書簡と筆が転がっている。

どうやら執務中に眠ってしまったらしい。

「夢…そうか…夢…だな」

総司の夢を見たのはどのくらいぶりだろう。

一度目は暑い夏の日だった。

総司は一言も言葉を発さず、ただ笑みを浮かべていた。

目が覚めて、俺は総司が逝ってしまった事に気がついた。

それからも総司は何度も俺の夢枕に立った。

いつも悪戯な笑みを浮かべ、俺に一言、二言話しかけては消えていく。

「勝っちゃんは一度も俺に会いに来ないのにな…。総司、お前はよっぽど暇なんだな。あの世はそんなに退屈か?」

俺もいずれはそこに往く。

だから待っていろ。

そんな言葉を口にしようとしたその時、執務室の扉を叩く音が響いた。

「誰だ?」

「市村です」

男にしては少し高い声が扉の向こうから聞こえる。

「鉄か?開いている、入れ」

「失礼します。」

扉が開き小さな影が丁寧に一礼して、俺の側に近づいてくる。

「お食事をお持ちしました。簡単なものばかりですが、どうぞお召し上がりください」

そう言いながら握り飯と味噌汁の乗った盆を差し出した。

「毎日毎日気使わせて悪いな」

「いえ、土方さんを気遣い、お世話をする事が小姓である僕の仕事ですから」

褒められた事で気分が高揚したのか、それとも北の大地の寒さのためなのか、鉄之助の頬は赤く染まっている。

誇らしげに胸を張り、赤い顔で薄っすらと笑みを浮かべている様があまりにも可笑しくて、俺はそっと鉄之助の頬をつまんだ。

「くくっ…やっぱりガキだな」

「ぼっ…僕は…」

子供扱いされた事を恥じたのだろう、ますます頬が赤く高揚していく。

「馬鹿にしたんじゃねぇ。まだまだこれから何でも出来る…そんな年頃だって褒めてんだよ」

鉄之助は年のわりに体が小さく、幼い印象が強い。

一見頼りなく感じるが、感が良く細かな事によく気がつき、言いつけた事は必ず守る。

そして余計な事を喋らない、詮索しない。

小姓は鉄之助以外にも何人かいた。

だが次々に大人になり、一般隊士の仲間入りを果たし、戦いに身を投じて命を散らしていった。

気がつけば、俺の側にはこいつだけが残っていた。

「おめぇのその顔、牡丹の花みてぇだな」

「ボタン?花の牡丹ですか?」

大きな目をきょどきょどとさせながら、俺の顔をじっと見つめている。

「あぁ、牡丹みたいに真っ赤に染まってやがる。おい、勘違いするなよ。さっきから言ってるが馬鹿にしてんじゃねぇ。お前がちょっとした事で喜んだり笑ったりする様が、牡丹の花が開く様に似ていると…そう思った」

「そっ…そうですか?」

恥かしそうに俯く少年の頭をそっと撫でてやる。

「もし俺に子供がいたら、こんな感じなのかもしれねぇな」

「土方さんが父上ですか?それはすごく誇らしい事ですが、僕の父上にしては若すぎると思います」

「おいおい…それは俺が頼りないって事か?これでもお前の倍近くは生きているんだがな」

「いえ、そうではなく…あの…嬉しいです。嬉しいですけど…僕は…その…土方さんを年の離れた兄のように思っているので…」

「兄…か」

鉄之助には血の繋がった兄がいる。

市村辰之助。

一般隊士の中でもなかなか優秀な男だ。

だが辰之助はある日、数名の隊士達と脱走をした。

おそらく鉄之助も誘われたに違いない、いや…誘われただろう。

戦の場にあっても、市村兄弟の絆を絶てるものはどこにもなかった。

そのくらい兄は弟を溺愛し、弟は兄を慕い尊敬していた。

脱走が露見したあの日、鉄之助はいつも通り黙々と隊務をこなしていた。

何事もなかったかのように、まるで最初から自分に兄などいなかったかのように。

しかし俺は知っている。

夜、一人で背中を丸め咽び泣いていた姿を。

自分で決断した事を後悔したのか、兄の名を呼びながら静かに泣く少年の姿を。

「お前には悪いが、俺は血の繋がった兄貴の代わりにはなれそうにないな」

「あっ…すいません。そういうつもりでは…」

うな垂れる鉄之助の表情をそっと盗み見る。

顔を青くしたり、眉間に皺を寄せたり、泣き出しそうになったりと…とにかく忙しい。

(くくっ…感情を隠せない奴だな。見ていて飽きやしねぇ)

「だがな、もう何年も連れ添っている。身内みたいなもんだ」

はっと顔を上げた鉄之助の目を真っ直ぐに見つめた。

その澄んだ目に、赤い血に塗れた俺はどんな風に映っているのだろうか。

「俺には年の離れた手のかかるクソ生意気な弟みたいな奴がいた。ずいぶん前に…先に逝っちまったがな。生憎とお前もそいつの代わりにはなれやしない。だが、お前みたいに素直で気が利く弟がいるのは…なんだ…悪くねぇ」

「あっ…ありがとうございます!」

俺の目の前で大輪の赤い花が咲いた。

汚れのない赤い牡丹の花が、一輪咲いた。