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私たまに考えるのです
。さみしいとはどういった事なのか
一人だからさみしい?
そばに誰かいないからさみしい?
誰もかまってくれないからさみしい?
語弊があるかも知れませんが正直に書きますね。
私、一人でいられない人…つーか女!、そういう女がとにかく苦手なんです。
なんかこう…
別に誰かに声かけてもらうの待ってるんじゃないのよ←って雰囲気を出しているけど、一人になれてない感じをかもし出している人とか、声かけてもらう待ち体制の女とか…
声かけたくてもかけられない
と、お前から声かけろ
は違うんだよーつーか…
私が『お前から声かけろ!』的な雰囲気出してたらすいません
。話戻して本題!
さみしいかと聞かれれば、言葉を交わしていた人の何人かがここを訪れなくなって久しいので(来てるのかもしれないけど)、それはさみしい。
それに、頻繁にここを訪れる人ばかりがここにいるわけではないので、言葉を交わせないとさみしい。
リアルでも、せっかく仲良くなって親しく言葉を交わした人と別れる日が来てさみしい。
でも、よくよく考えてみて、よくよく周りを見渡してみると、私の周りには必ず『誰か』がいる。
一人ぼっちにされているように感じても、必ず誰かが私のそばにいる。
いろんな形で誰かに支えられてて、いろんなシーンで誰かに助けられてる。
ふとした時に、誰かが私を見守っていてくれた事に気がついたりする。
そばにいるって横にピッタリつきっきりでいる事だけじゃない。
私が自分の足で歩き出せるまで、見守ってくれる事もそばにいるって事だと思う。
だから自分もそうする。
誰かが困っていたら声をかける。
私の手が必要ならば手を伸ばす。
その人を大切に思うならずっと見守る、手放さない。
だから私のそばにはいつも誰かがいる。
それを恵まれているんだと言うのかもしれないけれど、さみしさとは殻に閉じこもった自分が招いた結果なんじゃないかと思う。
だから、私はさみしいけどさみしくない。
ちゃんとそばにいる事、知ってるから。
余談ですが
私はこういったネットを通じて人と会話したり親交を深めるという事をするようになって4~5年経ちます。
リアルでもこういったところでも、自分でも驚くほど初対面の人と喋れるようになりました。
合う合わないの判断が上手くなっているというのもあると思うけど。
相手が私をどう見ているのか、どう感じているのか、実像とは違う風に見ている気がして非常に気になりますが
、相手は相手なりに私を認識し判断して言葉をかけてくれたりします。私が思うに…相手が私をどう見ているかはおおまかに分けると2通りあり
てへ~
って阿呆面している人かはい!はい!
ってしっかりしている人かこの2つの内のどちらかだと思う。
でも、誰がどちらの方で見ているかはわかりません。
知らぬが仏つーしね…知らない方がいいわな
。